"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

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石倉-落部 (函館本線) 1992

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あちらこちらで紹介されているのでご承知のことだろうが、石倉-落部-野田生間は大規模な線路変更の行われた区間であり、現在の国道5号線が旧線の位置にあたる。
内陸に迂回する落部付近を除いて海岸段丘が海岸線まで迫り出した地形が続き、19世紀末の土木技術では工事期間からも段丘上部へのルートが選定されたと推定する。
今、国道を走ってみると分かるが、落部の前後にはかなりの急勾配が存在し、早晩の隘路化は避け得ぬものだったろう。折しも戦時下の船舶からの転移による輸送需要に対応して複線化が計画され、新設線は段丘下の海岸線に敷設して勾配を緩和、これを上り線として敗戦間近の1945年7月20日に既設線と合わせて複線での使用を開始している。
以後、落部駅が既設線と新設線の双方に存在する変則状態が続くが、1958年12月10日に石倉-落部間の新設線が腹付線増により複線化、同時に既設線が野田生まで全廃され、後に国道へと転用されたものである。(なお、これにより落部-野田生間は単線運転に戻され、再複線化は1968年9月21日である)

70年代の終わり頃までは、石倉を過ぎて右回りのR500曲線の始まるあたりから国道へと上って往く廃線跡がはっきりと確認出来たけれど、その後に法面改修の行われ判然としない。野田生方のそれは、駅手前に国道から直進する道路として現存しているのが、車窓からも見て取れる。

戦時下の船舶からの転移-近海の制海権を連合国軍に奪われ内航海運には攻撃の危険がともなったゆえである。陸運転換と呼ばれた。

1989年夏の<トワイライトエクスプレス>運行開始以降は、陽の長い時期ならば午後に森方面から石倉に入り、この区間で同列車を捉えてから、第一落部トンネル近くのドライブインに併設の民宿に投宿、翌朝に下りの寝台特急群を、というパターンの撮影を繰り返した。
ただ、夏至からひと月ほど経過した、この時期にあっては<トワイライトエクスプレス>の通過には、西に傾いた日射は段丘面に遮られてしまうのだった。

段丘下への線路敷設は、段丘面の崩壊による災害を呼び込むことともなり、夏期から秋期の豪雨にて度々の不通を生じる結果となっている。この撮影地点も88年に崩落して、走り始めたばかりの本州-北海道間直通列車に初の運休を生じさせた現場でもある。写真で一部の見える土留め擁壁は、その復旧に際して構築されたものである。

[Data] NikonF4s+AFNikkor85mm/F1.8 1/500sec@f5.6 Non filter Tri-X(ISO320) Edit by PhotoshopCS3 on Mac.



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