"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

沙留 (名寄本線) 1967

saruru_1-Edit.jpg


沙留の上り方は、オホーツク海沿いに走る名寄本線にあって唯一、その波打ち際をトレースする区間であった。
この67年夏の初めての奥地への遠征に名寄本線を組み込んだ理由は思い出せない。オホーツクを見てみたい、程度ではなかっただろうか。
一ノ橋-上興部間の天北峠越え区間のロケハンで気に入ったポイントが見つからず、上興部に下車の後に向かったのが、五万図で当たりをつけていた沙留だった。ここには、ほんの少しだけオホーツク海に突き出した沙留岬があって、海を前景に小さな砂浜と名寄本線が望めた。

当時の名寄本線は、旅客列車こそ気動車化が完了していたが、貨物列車には名寄機関区と遠軽機関区の9600の仕業があり、名寄-紋別・遠軽間に三往復が設定されていた。どの列車もそれなりの編成長を持ち、半世紀近く前のこの時代は鉄道が物流の主役であったことを物語る。
ただ、名寄区/遠軽区ともに、構内入換にも使われた9600形には前頭部とテンダ後部の警戒塗色化(所謂ゼブラ塗り)が進行していたのが残念ではあった。

列車は、18時過ぎの弱い斜光線を行く1693列車。各駅で貨車の解結を繰り返しつつ、名寄から遠軽まで7時間余りをかけて走っていた。
北辺の静かな海岸線を想像していただけに、そこのキャンパー達の姿には少々がっかりもしたけれど、これも盛夏ゆえの光景と画角に取り込むことにした。

駅へ戻り、列車を待ちながら「HBCのテレビが映るようになったのは、ついこの間だ」と地元の人に聞き、奥地を実感したものだ。
この日は遠軽へ抜け、そこで駅寝したと記録にある。

[Data] NikomatFTN+P-AutoNikkor135mm/F2.5 1/250@f5.6 Y48filter NeopanSSS Edit by CaptureOne5 on Mac.
関連記事

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
http://northernrailways.blog.fc2.com/tb.php/90-adbe0a4e
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

FC2Ad