留萠本線が雨竜山地を越えるサミットは、恵比寿トンネル入口やや手前の深川起点22K413Mにあって、その施工基面高は89M00である。峠下の34M30からなら比高55メートルを登坂するところとなって、運炭鉄道の使命からの10パーミルを最急勾配とする縦断面設計には延長6キロ弱を要し、R=260で180度を反転する2箇所の馬蹄形曲線が挿入された。
後補機運転もあった深川-留萠間の撮影地点としては、これ以外には考えられない線形に違いなく、五万分の一地形図の恵比島図輻にも眺めていたものの、羽幌線行きに幾度か通過した車窓のロケハンの限りには、サミット付近から恵比寿トンネルを経て峠下トンネルの先まで、馬蹄曲線の大半が両側を防雪林に囲まれて引きが取れないことも承知していた。
とは云え、現地を歩けばなんとかなるだろうと峠下に降りたのは72年の暑い盛りの頃だった。深川に夜行を捨てての始発列車での到着は、同年春の改正で朝の770列車と夕方の776列車になっていた上りの後補機運転は、後者の本務機が9600とあっては狙いは当然に前者に絞られたからである。
さて、その成果は、と云えば見事に「負け」である。案の定に線路端から離れられず、編成越し後補機を見通すなど無理な相談には時間切れで、手持ちのスナップが関の山なのだった。
仕方なく、峠下トンネルの先で交差していた旧道を辿って恵比島側に抜け、変哲もない風景に同じく線路端写真に終始したのが、この夏の日と覚えている。
写真は、西陽を浴びて峠に向かう775列車。この頃に稼働が2両となっていたD61が牽いて来てくれたのが、せめてもの救いだろうけれど、線路端は止む無しとしても、画角選定の拙さは、これもおそらくは立ち位置を探すうちの時間切れカットと思われる。
後年に先達諸兄の記録に知るのだが、峠下側に後補機までを見通す地点はあったのである。件の馬蹄形曲線区間と思いきや、その立ち位置は峠下から山裾に沿って次第に高度を上げながらそれの築堤に取り付くまでに存在したのだった。
初心者の思い込みのせいには違いないとは思うものの、未だに心残りのひとつではある。
[Data] NikonF+AutoNikkor135mm/F2.8 1/250sec@f8 O56filter NeopanSSS Edit by LightroomCC on Mac.
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