"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

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苗穂 (函館本線/千歳線) 1993

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 かつてのサトポロ(sat-poro)だったフシコサトポロ(husko-sat-poro)が流れ、メム(mem=湧水)の地でもあったそこの水資源に着目し、大友堀(創成川)と豊平川に区切られた一帯に事業所(工場)施設群を配置すべきと論じたのは、開拓使御雇教師頭取兼開拓顧問として来日した合衆国農務局長ホルレス=キャプロン(Horace Capron)だった。開拓使はこの提言を受け入れ、サトポロと切り離されたフシコサトポロの新たな水源、ナイポ(nay-po=小川の意)と呼ばれた上流の小さな流れのあたりを中心に、木工や機械製造、馬具、漁具、製紙、製油、製粉、製糸、精麦、缶詰、味噌・醤油の醸造など多くの官営工場群を建設して往った。
これらは北海道拓殖の基礎製品を提供し、かつ内地への移出品を生産するものであった。これだけの工場の稼働には多くの労働力を要し、それらもまた移民にて賄われたはずである。それがどのような出自の人々であるかは調べ得ていないけれど、大方の想像はつく。経済的に決して豊かではなかった彼らは、工場近隣に用意された粗末な宿舎に居を定めることになり、社会保障など考えられぬ当時、官営工場が内地新興資本の手に払い下げられれば、資本による搾取の対象でもあった。
旧北海道庁庁舎正面から創成川を越えて苗穂停車場へ至る北三条通り沿道の市街地は、このような労働者階級の居住地として形成され、かつてには職工町と呼ばれた貧者の街、細民街であった。1900年代始め頃の苗穂界隈の様子は、当時札幌鉄道局に勤務し苗穂の官舎に住んだ、異色の作家橘外男の短編「求婚記」に次のように描写されている。


私はかねて聞いていた通り煙草屋と荒物屋との間の狭い横丁を入った。
職工町の一町ばかり先の左側を目指して入ったが、どうも何ともかともごみごみとした、行けば行くほど裏長屋の貧民窟のような処であった。
降り積もった雪が腰のあたり迄両側に掃き寄せられて、そのトンネルみたいな中を平ったく入って行った芥溜(ごみため)のあたりから、同じような小さな棟割り長屋が幾つも幾つも並んでいた。
[求婚記-現代ユーモア文学全集橘外男集(1954駿河台書房)に所収]

そればかりでは無い。都市は膨張の過程にて必然として貧民窟(スラム)を内包する。都市経済の拡大にはその規模を超えて過大な人口流入を誘起するが、必ずしも全てに配分の行き渡らないが故である。新たな流入者には、おそらくは小作農からの離農者などが多くを占めたと推定され、苗穂のほか豊平橋周辺にも存在したと云う細民街が吸収したものだろうが、そこからも溢れた者達は豊平川の河川敷を占拠して粗末な小屋を建て居住したのだった。貧民窟の出現である。この1910年代までには形成されていた豊平細民街から一条大橋、東橋を経て苗穂細民街に至る貧者の回廊と、その対岸菊水の白石遊郭の存在は、都内で言えば四谷2丁目から東福院坂を下りた鮫ヶ橋界隈から千駄ヶ谷を経て新宿貨物駅に至るそれと、その先の新宿遊郭に符合するのが興味深い。
札幌の例に限らぬが、このようなスラム街は往々サムライ部落と呼ばれた。その語源には諸説あって定まらず、古い報道記事などには武士部落と書かれているのを見かける。「武士」をサムライと読んだのである。
廃品・古紙回収で生計を立てられれば良い方で、多くは無職だったとされるが、中には実際に武家出身者も交じり、教養・教育もある誇り高き人々からのことかもしれない。
河川敷ゆえに出水の度に流されながらも、その都度に再建され、戦後に至れば緊急開拓政策による戦後開拓からも溢れた人口を吸収して拡大したのだった。この頃には都市景観上から幾度も撤去が試みられるも、いつしか再出現するイタチごっこを繰り返し、来るべき札幌冬季五輪開催にともなう強引な行政指導により消滅する1969年まで存在した。

残照を背に、苗穂の東方函館桟橋起点290K000Mへと差し掛かる2列車<北斗星2号>。
画角は幾度もの既出である。この位置には渡道すれば一度は立っていた。手元には1月から12月まで全ての季節が寝台特急を収めたこの画角で揃っている。これは9月下旬の撮影。手稲山からの稜線を遮ってしまうJRタワーはまだ無い。

1960年代に市電に乗りながら眺めた北三条通りが、奥へ行くほど、東橋に接近するほどに場末感を漂わせたのは、このような背景による。現在にも中心街に隣接しながらも落差のある街並が続く。前にも書いたが、土地の刻印とはなかなかに消えぬものなのだ。
とは云え、「細民」とは中間層が存在せず、富裕支配階層と下層階級しかいなかった時代の古い言葉である。貧者を意味したにせよ、現代に翻訳すれば「庶民」を指すと付言しておく。

[Data] NikonF4s+AFNikkor180mm/F2.8ED 1/250sec@f8 Fuji SC52filter Tri-X(ISO320) Edit by PhptpshopCC on Mac.


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