"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

尺別 (根室本線) 2008

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道内におけるDD51型内燃機関車の運転が「ようやくに」終了した。それは1966年度末の旭川機関区への配置による石北トンネル越え、塩狩越えの補機運用を嚆矢としていたから、爾来半世紀に迫らんとする歳月は、確かに「ようやく」としても良いだろう。もちろん、この際の投入車が生き残ったではないけれど、それでも函館運輸所の最後の5両は全て1975年の新製車両につき、車齢は41年に達する。現在苗穂工場に保管されるC623でも1973年10月の運用離脱時のそれは25年に過ぎなかったから、恐ろしいほどの老朽機関車と言える。
ハーフサイズ写真機から一眼レフを手にした蒸機の終末期以来、釧網線や江差線で、後には天北線でDE10なり15に出会えたとは云え、この機関車を常にファインダーに捉え続けたには、時代の巡り合わせに違い無いとしても、20余年を過ぎれば些かに食傷気味なのが正直なところであった。言葉を変えれば「飽き飽きして」いたのである。
その凸型車体には入換機の印象を拭えないままに加えて、貨物鉄道会社に現れた機関更新機に対する赤系や青系の新塗色に、旅客鉄道の客車に合わせての青色20号など違和感ばかりが先に立ってどうしても馴染めぬのが追い打ちをかけていたとして良い。そこが北海道で、それが寝台車を連ねた特急列車でなければ写欲も失せていたことだろう。「ようやく」とするのは、そんな想いもある。

そこに登場した貨物鉄道の手になるDF200型電気式内燃機関車の、パノラミックな2枚窓を配したフロントデザインの本線機らしい箱型車体には、積年の恨みが解ける気のしたものだった。
試作機は1992年4月2日に五稜郭機関区へ回着しながら、一千トン牽引試験で死重を積んだコンテナ車の20両編成を牽いたりしたものの、なかなか営業には投入されずにいたのだけれど、その単独牽引が1993年の5月11日から4061-3070列車で実現し、運用区間も五稜郭-札幌貨物ターミナルに拡大されれば、開発事由の一つであった千歳線内での走りを撮りに渡道したものだった。以前の記事 南千歳 (千歳線) 1993 は、その際の一枚である。
90年代も後半に至り、その配備が定着した頃の渡道は、寝台特急とこればかりが被写体であり、この時期には道南地域にばかり通い、そこから外へ出なくなったのもそのためであった。
やがては運用区間も新旭川へと拡大、2008年春の改正からは根室本線を新富士へと辿るところとなった。これは撮らぬわけには往かない。

寂れた尺別の集落を背景に冬支度の原野へと踏み出すのは2091列車。
根室線への運用設定には、尺別 (根室本線) 2003 と5年を隔てて同じ丘に上った(ただし樹木の成長で全く同位置とは往かなかった)。季節も被写体も同じならレンズも同じなのだが、写真機はディジタルに替わっている。前年にNikonが35ミリフルサイズ機をラインナップしてくれたからである。それは待望した機材だった。

ご承知のとおり、DF200は2014年には低い線路規格に困難とされていた石北本線の臨貨運用にも進出した。この事態には少しばかり躊躇した末に、二度と踏み込まぬだろうと思っていた常紋の峠道に立つことした。札幌からの移動も前泊の宿からして見渡せばご同業ばかりと云う環境に、旧い鉄道屋はやはり困惑したと書いておく。

[Data] NikonD3+AT-X300AF PRO 300mm/F2.8D 1/250sec@f6.3 C-PL filter ISO320 W.B. 5260 Developed by CaptureOne9pro Edit by PhotoshopCC & LightroomCC on Mac.

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コメント

まだあるとおもっていたら・・・

すいません、DD51がなくなってしまったのをまったく知りませんでした。
むかし、余剰になってであろうDD51が釧路駅そばの線路に何台も連結されて留置されていたのを見て、
どんどんさび付いていく姿を見るにつけ、なんか言われもしない寂しさを感じました。
いつの間にかなくなってしまいましたが、おそらく解体されたのでしょう。
今から30年位前の話です。

  • 2016/06/23(木) 13:13:40 |
  • URL |
  • はじめっち ほか #-
  • [ 編集 ]

Re: まだあるとおもっていたら・・・

ご返事遅くなりまして申し訳ありません。
ご記憶のとおり、釧路機関区へは1984年度末で51両ものDD51機が集められていましたが、この内の実に27両が廃車前提の第2種休車指定車でした。車籍だけは釧路に移されながら、実車は回送されないまま岩見沢や築港区で朽ちた車両もありましたけれど、釧路駅や旧釧路操に列を成した車体は私も見ています。順次工場で解体されて行ったものと思います。用途廃止の通達は1986年度末に出されました。

  • 2016/06/27(月) 01:37:59 |
  • URL |
  • Wonder+Graphics #-
  • [ 編集 ]

こんにちは。
今日も、それぞれのお写真と記事を興味深く拝見させて頂きました。
DF200形を初めて写真で見たときには、ありふれた存在で見慣れたDD51形からのデザインの変わりように違和感を感じたのを覚えています。
しかしその後、特に意識もせずに五稜郭で見掛けた、この機関車が牽く貨物列車の姿を見て、全く印象が変わりました。コンテナを満載した列車の先頭に立ち、腹に響くようなエンジンの重低音、制御器の機械音を鳴らしながら、発進していく様子の迫力。機関車の大きな車体が実に格好良く見えました。
ご記載の「本線機らしい」の表現の通りの印象を受けました。非電化幹線の、しかも自然環境の厳しい中での鉄道の躍動感、列車が去るのを見惚れていました。
まだまだ、日本の鉄道の可能性を信じたいと思った出来事でした。
今後とも、宜しくお願い致します。
風旅記: http://kazetabiki.blog41.fc2.com/

  • 2016/07/21(木) 14:39:12 |
  • URL |
  • 風旅記 #O7xVy9HA
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Re: タイトルなし

こんにちは、風旅記さん。
旧い鉄道屋なものですから、センタキャブの機関車と云うのは、どうしてもヤードを行き来する入換機の印象が先に立ってしまうのです。特に1962年に登場したDD51の初号機は前頭にゼブラ塗色まで施しての出場でしたので、当時の本線機DF50に比すれば入換機にしか見えなかったのも確かです。
DD54が短命に終わってしまってからは待望のスタイルがDF200だった訳でして、ようやくに内燃車も電気車並みの車体を手に入れたものと感慨しました。もっとも、この機関車は半分は電気車ですけれど。

  • 2016/07/24(日) 19:38:10 |
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  • Wonder+Graphics #-
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