"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

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張碓-銭函 (函館本線) 1980

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国有鉄道当局が、函館札幌間列車の東室蘭・苫小牧経由運転の可能性を認識したのは、戦後の駐留軍専用列車が契機と言われている。1946年11月5日からその経路を辿った横浜-札幌間のYankee Limitedである。
戦前の鉄道省にすれば、室蘭本線とは長輪線計画時から岩見沢以北と青函航路との連絡を目的としており、沼ノ端で接続の札幌方面線が線路規格の貧弱な私設鉄道だったことからも、これを札幌連絡に用いるなど考えもしなかったのである。
その北海道鉄道(2代)札幌線が戦時買収にて国有鉄道に編入された中で、駐留軍司令部は単純に部隊が展開する千歳線沿線への直行を命じたに過ぎぬのだが、ガソリン動車が行き来するばかりだった極めて劣悪な線路へ客車を連ねた本線列車を運転してみれば、20パーミル勾配で越える峠の連続する函館山線に比して遥かに良好な運転条件を備えた新経路の「発見」に至ったのだった。

けれど、函札間連絡の優等列車は引き続き険しい峠道を経路とし、千歳線の改良を背景に1961年10月改正における道内初の特急列車が同線経由で設定されて以降、次第にこれが主要経路に位置づけられてもなお、山線側にも67年に至り特急が設定されるなど、優等列車の運転経路として双方の並立は永く続いた。
これは、偏に山線経路上に位置した小樽の存在ゆえと云えよう。60年代から此の方、札幌が一人勝ち的経済成長を遂げたとは云え、小樽の都市経済力もまた無視し得なかったのである。国鉄もさぞかし悩ましかったに違い無く、本音では全ての優等列車の室蘭・千歳線運行を希求しようとも、小樽の地理的位置が阻んだとして良い。
80年代には既に一部列車を残すのみだったけれど、道央と道北・道東方面列車でも小樽発着の時代が永く続いていた。小樽築港機関区に小樽客貨車区が苗穂や札幌区より規模の大きかったのがその証である。
1986年11月改正でようやく実現の山線優等列車全廃は小樽の札幌都市圏内包を担保にしたものだろうが、当時にはこじつけの感を否めなかったし、今にも連続した都市圏とは見えない。それゆえ3扉の電車列車ばかりの行き交う現況に、小樽にも中間の手稲にも暮らしたことのある旧い鉄道屋はいまひとつ馴染めずに居る。

風雪の石狩湾岸を往くのは、903D<らいでん3号>。この年の10月改正で岩内線直通を廃し、急行形の投入で遜色急行を脱した姿は幹線急行の装いだった。降雪の線路を音もなく、滑るように走り去る。
今は優等列車を失い、近郊型電車だけの往来には魅力も薄れたけれど、この当時には一般型から急行・特急型の気動車列車に、急行型擬きの711系電車、電機・内燃機の牽く客車列車に貨物列車と、およそ道内運用の全ての形式が見られたとして良い。それは都市近郊線では無く、まぎれもない長距離幹線鉄道の姿である。

[Data] NikonF3+AutoNikkor180mm/F2.8C 1/500sec@f4-5.6 Nikon Y52filter Tri-X(ISO320) Edit by LightroomCC on Mac.

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