"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

札幌 (函館本線) 1984

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学生当時は勿論、その後も職業のフリーランスを良いことに道内へは、それこそ足繁く通った。夏の長い休みを周遊券の有効期間一杯に放浪するなどは出来なくなった替わりに、一度旅に出れば1週間から10日、短くても3・4日の行程を年間に幾度と無く繰り返していたのだから、右のprofileに書いた年間の延べ1ヶ月の道内生活とは決して誇張でなく、年によっては2ヶ月近くまで彷徨いていたはずである。
その間の主たる宿泊先とは、ここに何度も書いて来たように、札幌を基点に4方向に運行されていた夜行列車だった。宿代の節約が何よりなのだが、長旅の疲労に寝台などを選んでしまうとそれより高く付いたにせよ、夜間に長距離を移動出来る利便には替え難かったのである。とは云え、それを幾日も続けるわけにも往かぬから、適度に地上へ宿も取っていた。
けれども、札幌を泊地に選んだことはあまり無い。翌日を山線に入るなら小樽が、千歳線なら千歳なり苫小牧に地の利があったし、そこは、あくまで道内移動の中継地点との意識だった。勝手知ったるかつての地元でもあれば、敢えて宿泊して市内に出掛ける気もなかったのである。
それでも、行程上に宿泊を要する場合も在って、駅から歩きたく無い鉄道屋は南口正面、駅前広場の手稲通り向かいに営業していた「札幌ワシントンホテル」を宿舎に選んでいた。

1960年代末期から70年代とは、海外でのモーテルやB&B(ベッド&ブレックファスト)に相当する料金低廉な洋式宿泊施設の国内における黎明期にあたり、既存の商人宿を代替する業務旅行利用に特化したサーヴィス形態から「ビジネスホテル」と呼ばれた(和製英語とも言え、海外でのそれとはかなり異なる)。札幌ワシントンホテルは、同和鉱業系の観光事業会社だった藤田観光が全国チェイン展開の第1号店として1973年に開業したものである。
札幌市内には、地元資本により先行した同業態ホテルも所在したのだが、旅館業からの分離も不明確な当時には、洋室主体ながら和室も維持され、設備投資による料金への影響を嫌ってかバスルームを持たない個室も多くを占めていた。
その中でワシントンホテルの全個室へのバスルーム設置はビジネスホテルのあるべき容態を示したものと言えようか。その上で北4西4の東京読売本社の所有地に524室もの開設は、開業時点で一泊2000円前後の料金を実現しており、それは当時のアウトバスシングルを含めた札幌での相場でもあった。ホテル料金の価格破壊時代である現在と一概には比較出来ないけれど、立地と設備からは極めて低廉だったとして良い。
ただし、それゆえにシングルルーム当たりの床面積は圧迫され、驚くほどに狭かった。一番安い部屋ばかりを選んだせいもあるだろうが、小さなライティングデスクの他は全てがシングルベッドに占領され、壁面との僅かな隙間をカニ歩きの有様だったと記憶する。その狭苦しさと云ったら、宿泊経験のあるホテルではWebSiteに書いた高山駅前のホテルGO(ゴー)と双璧を為す。もっとも、ベッドに上がってしまえば、全てにそこから手が届くのは便利でもあり、早い朝に寝るだけには苦にもならなかった。

写真は、薄明の札幌駅3番線に到着した514列車<大雪4号>。
[北東航2]のマニ50と[札郵1]のスユニ50を隣の苗穂に置いてきてしまうのは、この2月改正からのことで、おかげでスハネフ14に接する機関車の姿を撮れるようになっていた。終着には荷物・郵便車に要した暖房の蒸気を盛んに捨てている。
1988年に札幌が高架駅となり北口が整備される頃となれば、それの至近に幾つものビジネスホテルが建ち並びワシントンホテルを宿舎に選ぶまでも無くなった。最後に利用したのは、86年の渡道だったと記憶する。ホテルは30年を経過した2004年に営業を休止、建物を建替えの上で2006年に再開業した。コンセプトも新たなグレードには翌2007年に藤田観光の新ブランドであるホテルグレイスリーに名を改めている。撮影の旅なら、北口の安宿で十分過ぎるから多分そこに泊まることは無いだろう。

[Data] NikonF3P+AiNikkor105mm/F1.8S 1/30sec@f2.8 NONfilter Tri-X(ISO320) Edit by LightroomCC on Mac.

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コメント

こんにちは。
お写真のような客車の夜行列車が駅に発着する光景は、もう見られないと思うと、本当に寂しく感じます。
私自身が北海道の鉄道に魅了されたきっかけは、まだ幼い頃に友人と(当時の自分にとっては冒険のような気持ちで)出掛けた際、急行大雪号の網走行に乗ったことでした。
帰路に乗った北斗星号では食事券をなくし、見かねた車掌さんが話を通してくださり食事にありつけた、といった迷惑をかけてしまいながらも忘れることのできない思い出も重なり、自分にとって鉄道で旅することの原体験になったように感じています。
もう、列車を見て振り返ることもできないのだと思えば、やはり寂しくなります。
長い期間渡道され、鉄道を通じても地域を見てこられたがゆえの記事ですね。社会人になり、商用で札幌を訪ねた機会もありますが、その時の宿はどこで幾らだっただろうと遡りましても、毎度飲み明かしていたためか細かな記憶がありません。
ふと、自分のための旅では、札幌に泊まった機会がとても少ないことにも、今、気付きました。
興味深く拝見致しました。
今後とも、宜しくお願い致します。
風旅記: http://kazetabiki.blog41.fc2.com/

  • 2016/05/20(金) 14:19:40 |
  • URL |
  • 風旅記 #O7xVy9HA
  • [ 編集 ]

札幌の宿

札幌での宿と言えば、学生時代は駅前の客引きの激安の誘いに釣りあげられた、
簡易宿泊所風の文字通り木賃宿は、百万都市札幌のイメージと乖離していて茫然としたもの。
ちょっと小金が出来た以降は、ワシントンホテルに予約なしでチャレンジするもあっさり満室締め出しを食って、
札幌駅前はあまりいい思い出がありません。

  • 2016/05/20(金) 23:57:16 |
  • URL |
  • 風太郎 #ORZvdv76
  • [ 編集 ]

Re: タイトルなし

こんばんは、風旅記さん。

夜行列車の消滅とは駅の賑わいの喪失でもありますね。
上野や東京は勿論のこと、札幌とて4本の夜行急行が出発して往く21時台から23時へは、その都度に華やかなホーム風景が見られたものでした。稚内に網走、釧路、函館も札幌行きの最終特急が出てしまえば、それはそれは閑散としています。
道内を鉄道で旅しようとすると意外と札幌には泊まらないものですよね。やはり、あそこは中継地です。

  • 2016/05/23(月) 00:39:11 |
  • URL |
  • Wonder+Graphics #-
  • [ 編集 ]

Re: 札幌の宿

そうですね。札幌に限らずちょっとした駅なら集札口辺りには客引きが屯してました。
あれも「失われた鉄道風景」のひとつですかね。
なにより、若い趣味者(に限らないけれど)には、集札口てのが分からないかな??........。
80年代半ばともなると、札幌ワシントンもインフレで5000円近くになっていましたし、札幌はメシ代も高いので、千歳駅前のエアポートホテルまでエスケイプしてたものです。名称に反して空港利用者に利便性は無く、札幌市内がどんなに混雑していても泊まれました。

  • 2016/05/23(月) 00:57:26 |
  • URL |
  • Wonder+Graphics #-
  • [ 編集 ]

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