"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

新狩勝信号場-広内信号場 (根室本線) 1977

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鉄道の趣味者であればご承知と思うが、客車の運用は、日本国有鉄道発足からその末期までを通じて、運用を担う鉄道管理局単位に設定され、運用番号もそれを示す略号を冠しての付番であリ、運用区所単位とされた動力車や自走車両とは大きく異なっていた。
60年代後半の例で、札幌客貨車区による<まりも>運用だった[札1]運用の「札」は札幌鉄道管理局を、函館運転所持ち<ていね>運用の[函1]運用の「函」は青函船舶鉄道管理局を示し、決して運用区所名の略号では無かったのである。対して、動力車は車両運用のA運用と乗務員のB運用に分けられ、<ていね>を牽いた小樽築港機関区のC62なら同区の[A21]仕業、「築港21番」などと通称された。
資料を遡れば、内閣鐵道院の地方機関として置かれた鉄道管理局(鉄道省昇格後なら鉄道局)単位に客車運用を設定したものが、それまでの運輸事務所を改組した戦後の国鉄における鉄道管理局に引継がれたものと知れる。
鉄道創成期からの旅客車である客車が、しばらくは唯一の現業機関であった駅により運用された名残であり、鉄道管理局(鉄道局)に配属され、常備駅を指定の上でそこに配置して運用に供し、保守・管理責任を負わせる考え方が取られたのである。これは常備先が客車区なる専門機関に独立しても変わらなかった。国鉄では、これを客車の「配属制」とし、対して一部を除き常備駅を指定しない貨車は「共通制」であった。動力車と云えば機関車しか無かった時代の制度が、国有鉄道の消滅と云う近年まで続いていたことになる。
そして、それは(動力を持たない)客車がゆえに常備区所を出区してから帰区するまでを1運用と数える、これも鉄道創業以来の慣例に従っていた。これについては 植苗 (千歳線) 1991 に書いている。
管理局単位であるから、同管轄に運用区所が複数あれば付番の番台で区別された。近年道内の例なら札幌運転区の0番台に、岩見沢客貨車区の30番台のごとくである。よって、運用番の1番に始まる一桁番号とは、その管内での代表区所の代表運用に付与されるものだった。
ならば、その管理局が特急運用を持っていれば付与されそうなものだが、不思議なことにその事例は稀であり、大抵は急行列車運用への付番であった。寝台特急全盛期の大阪局を例にとると、それらは全て100番台・200番台付番とされ、[大1]運用とは東京-大阪間<銀河>運用に与えられていた。これも、優等列車と云えば急行列車を指していた国鉄の慣例からであろうか。そこでの特急列車とは、特別な急行、即ち「最」優等列車とされていたのである。

冬晴れの狩勝新線を下って往くのは、滝川から釧路まで日中の9時間近くを通していた425列車。
高度の低い太陽が新得市街からオメガカーブの通称南山までを見通す景観に陰影を与えてくれる。
1970年代当時、釧路鉄道管理局管内で客車は、釧路客貨車区、帯広運転区に同池田支区の各区所に配置があったけれど、定期運用を持つのは釧路区だけになっていたので、必然的に同区が[釧1]を運用していたのだが、急行運用を持たないがゆえにス級客車-3両組成の2組による滝川-釧路間425・422列車運用がそれであった。札幌運転区による小樽-釧路間423・424列車(後に<からまつ>と愛称付与)が存在したにせよ、昼行で滝川釧路間を通すのは、郵便荷物輸送の使命も担った根室本線の基幹列車に違いなく、運用番の1番には相応しい。

[Data] NikonF2A+AiNikkor50mm/F2 1/500sec.@f5.6 O56filter Tri-X(ISO320) Edit by PhotoshopCC on Mac.

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