"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

トマム信号場 (石勝線) 1981

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1981年10月に開業した石勝線へは、開業直後にロケハンを兼ねて試乗し、その冬に最初の撮影スケジュールを組んだ。

プラニングに困ったのはアプローチだった。あの長大な区間に乗降可能な停車場が新夕張もしくは楓に占冠と石勝高原しかないのだから。
夕張山地を貫く占冠以東については、長大隧道が連続して明かり区間が短く、例えレンタカーの使用を前提としても、この当時は並行道路が無い上に隧道間の明かり区間へのアプローチの道路事情が悪く、最初から除外した。
秋の車窓からのロケハンにて、東占冠信号場-滝ノ沢信号場間やトマム信号場の前後区間に撮れそうなポイントを視認していて、まずは石勝高原から徒歩も可能なトマム信号場付近へ向かうことにした。道内版時刻表の巻末ページを詳細に見て行くと、日高町-占冠-幾寅に運行している占冠村営のバスが使えそうなことが知れたけれど、その一日2往復の時刻と列車ダイヤがどうにも噛み合ぬのだった。

結局のところ、帯広からの始発の急行を石勝高原に下車し、選んだ手段は「ヒッチハイク」だった。列車ダイヤに縛られ続ける鉄道撮影にしては、行き当たりばったり方式に過ぎるけれど、拾えなければ歩けば良い的な感覚だったのだ。
この日は運の良いことに、駅前の道に立って10分程で富良野から占冠に向かう途中と言う電設工事店のワゴン車に止ってもらえた。圧雪の道を時速100キロ近くで飛ばすのに驚きながら、第一トマム川橋梁近くにて降ろして貰い、前方に見えた白い斜面目指して雪中をもがきつつ登った。

列車は、5002D<おおぞら2号>函館行きである。石勝線経由により乗り通せば千歳空港-札幌間を復乗する「乗り得列車(?)」となった。
石勝線開業時のダイヤでは、80系気動車も食堂車を外された編成ながら5001D・5006Dの一往復に残存し、目出たくも石勝線上を走ることとなった。
183系気動車は、改正前からの3D・4Dが3-5003D・5002-2Dとして函館発着にて存続、新たに札幌発着化された5005D・5004Dが量産車の投入により80系から置替られた。
この5005D・5004Dは、同改正にて急行<宗谷>の函館-札幌間を立替えた13D・14D<北海3・4号>と札幌でホーム在姿のまま運用が繋がっており、見方に依っては函館-釧路間の運転が存続とも受け取れた。ただし、函館山線からの直通となるゆえ、石勝線/根室本線内では5003D・5002Dと編成の向きが逆となり、札幌で号車票の差替えが発生していた。

列車の後方が延長232Mの第一トマム川橋梁。今は、背景の山麓に道東自動車道が開通している。
ここから振り返るとトマム信号場の構内も遠望し、その撮影にも良いポイントであったが、30年後の現在では樹木が成長して登坂すら困難である。

なお、表題/文中のトマム信号場は現在のホロカ信号場、石勝高原はトマム、千歳空港は南千歳である。

[Data] NikonF3P+AiNikkor180mm/F2.8ED 1/500sec@f11 FujiSC42filter Tri-X(ISO320)
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