"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

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国縫 (函館本線) 1984

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山越郡長万部町国縫地内の国道5号線には、国縫停車場への進路を示す道路標識は見当たらない。設置が通例とばかり信じて来た旧い鉄道屋には、これも鉄道の地位低下を示す事象のひとつに見える。
停車場は函館バス長万部方面行き停留所に隣接の細道突き当たりに所在し、国道からも本屋の一部を認めるのだけれど、案内の無ければそれとは知れないだろう。もっともその位置なら地元の利用者は皆承知しているし、国道を通過する外来者には元来無縁の施設に違いないにしても、駅が街なり集落なりの生活の拠点と認識されなくなった何より証である。経済中心の無い集落は輪郭もまたぼやけて見える。

かつての国縫停車場は瀬棚線を介しての日本海岸との輸送の結節点であり、その貨車操配に相応しい構内規模を持っていた。加えては、隣接した合板工場への原木の到着に製品出荷を扱う専用線も稼働して、側線には多くの貨車が見られたものだった。函館海線では貨物拠点のひとつだったとして良い。
合板工場の北海ベニヤ株式会社国縫工場としての操業開始は、瀬棚線が瀬棚までの全通を果たした2年後の1934年と記録されており、それの沿線資源も期待したものであったろう。海外からの金属原料輸入が途絶えた戦時下には木製航空機の資材生産工場に指定されたと云う。戦後には幾度かの変転を経て、瀬棚線撮影にここへ降りるようになった1970年代前半には札幌の合板会社北晴合板の国縫工場となっていた。
当時のダイヤには、五稜郭操車場-長万部間の区間列車だった1191・1190列車の1往復のみが停車して貨車の集配を行っていたと見て取れる。瀬棚線内発着貨車の授受も担っただろうが、それには当該貨車は半日程の滞留を要することになって構内に車票の差された中継車の多かったのも頷ける。

現在も残される駅本屋は1939年に改築の三代目となり、大きく取られた待合室に駅長事務室は瀬棚線接続で増大した旅客や構内作業の人員の収容からと思われ、調べ得なかったが跨線橋の設置もその際だったと推定される。駅員の詰めていた当時には集落規模に不釣り合いな堂々の規模と見え、今は元商店の2軒が残るだけの駅前も、それに隣接して商人宿の二階屋が駅舎と相対し、さらに商店が続いていたと覚えている。深い草叢と化している北側一帯には集落人口の多くを占めたであろう鉄道職員の官舎が建ち並び、確かに集落経済の中心を成していたのだった。

写真は瀬棚線蒸機から10年後に再訪した国縫停車場。今は取り払われてしまった第二乗降場上屋が、真夏の白い光線にくっきりと影を落としていた。
2番線には森から長万部への643Dが停車中。1番線に到着したのは瀬棚線への927Dである。本来なら3番線着発のはずだが、この日は大幅遅延と思われる貨物列車が入線していたゆえの変更であろう。発車して往くそれの後ろ姿も画角にある。
北晴合板は1981年11月28日に44億円の負債を抱えて札幌地裁に和議を申請、30日に財産保全命令を受けて事実上に倒産し、国縫工場も操業を停止した。この1984年には瀬棚線からの貨物出荷も既に無く、側線だけが空疎に残されていた。画角のコンテナ車は、それを利用した夏期遊休車の疎開留置だったと思う。
けれど、駅長事務室には当然に職員が詰め、待合室にはキオスク売店も健在だった頃ではある。

[Data] NikonF3P+Distagon 28mm/F2.8 with adaptor 1/500@f5.6 Fuji SC56 filter Tri-X(ISO320) Edit by PhotoshopCC on Mac.

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