"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

上野幌 (千歳線) 1996

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手稲に暮らした頃、広島街道は親父の運転する大衆車パブリカでの日曜ドライヴのルートだった。なので、野幌丘陵を越えるところの広島村西ノ里椴山(とどやま)の地名は承知していた。既に農地の開かれていたとは云え、種畜牧場が目印だった現在の西の里交差点を右に折れて馬鈴薯農場を目指せば背の高いトドマツの連なる原生林も残されて、なるほど椴山の所以と納得したものだった。後に、道内には幾つかの椴山地名が存在すると知るが、いずれもトドマツがその由来である。よって、これは和名には違いない。
以来に「椴」はトドマツの椴と理解していたのだけれど、ずっと後になって仕事でご一緒した「もみやま」さんの名刺には、確かに「椴山」と在って「樅山」のミスプリントではないのかと他人事ながら悩んだことがある。どうやら、名字としての「もみやま」には、その双方が存在するらしいと知った切っ掛けであった。そして、今のところ椴山と書く「とどやま」さんには出会っていない。これは地名だけのこと、しかも道内に限られるようだ。

モミ、樅の木と云えばクリスマスツリーを想起しようが、マツ科モミ属に属するこの樹木の国内における自生地域は秋田県を北限に屋久島にまで至り、照葉樹林帯にて広葉樹と共に森林を形成するなど決して北方の植生とは云えない。モミの密生する斜面、即ち樅山は本州から九州に至るまで随所に存在したのである。
対してのトドマツはマツ科の樹木には違いないが、マツ属では無くこれもモミ属に分類され、北海道以北にしか自生していない(太古の昔には奥羽地域にも自生の痕跡がある)。トドマツの名は先住民族によるトトロップに由来し、トトだけを頂いて枝が一段ずつ輪生する特性から、木に段を当てて「トト(トド)」と読ませたものらしい。「マツ」は葉形が日本人に親しい松の木に近似したところからであろう。椴松も椴山も和人がアイヌモシリに進出して以降の近世の発生には違いない。
解らぬのは、それがどうして「もみやま」と読む名字に転化したか、である。勿論、それには樅山と書く事例も存在する。先の椴山さんは愛知県の生まれで、一族に北海道居住経験者は居ないと云っていた。これが氏や姓のはずは無いから、ついぞ近代の『平民苗字必称義務令』(1875年2月13日太政官布告第22号)による名乗り姓、所謂明治新姓である。これだけ全国に広まるには、その近辺で椴=モミの木とする一大プロモウション、あるいは正反対の大誤解が在ったと思うのだが、どなたかご存知あるまいか。

北広島市道椴山大曲線の農場橋(繰返すけれど決して「農事橋」では無い)の架かる椴山の切通し区間には、本当に幾度も通った。上りの本州連絡特急寝台列車を押さえるならば日没の制約があったから尚更である。上野幌方のR=800M曲線を見通せば、陽の高い季節なら2や6004、秋から春先なら8002が斜め後方からの低い斜光線を旋回した。
編成を架線柱の間に収められたこの唯一無二、ピンポイントのカメラ位置には、手前の樹木が成長して立てなくなってしまった。それをクリアしようと法面の高度を上げると、今度は架線が被って邪魔をする。
幸に3月までなら葉も落ちていよう。新参の俄鉄道写真愛好家諸氏には努努、無断で伐採などお考え召されるな。

[Data] NikonF4s+AFNikkor180mm/F2.8ED 1/500@f8  Fuji SC40M filter KR Edit by LightroomCC on Mac.

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