"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

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常紋信号場-金華 (石北本線) 1985

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鉄道屋なので道路は門外漢である。それでも徒歩のそれとしては自分の歩いた道のことは気になる。
金華の先で国道242号線から右に分岐して熊の沢川の谷を遡り、標高397メートルの峠で八重の沢川の源流に至って生田原の平和橋近くで再び合流する(ここでは国道の方が合流して来ると云うのが正しい)、つまりは石北本線と共に常紋郡境を越える細道もそのひとつである。常紋信号場から要員の引揚げられ、隧道内の照明点灯がままならなくなって以降には、生田原側との往き来に歩いた諸兄も多かろうと思う。
線路との平面交差は一箇所のみで、その踏切名称-旧北見湧別線踏切から、かつては路線名を「北見湧別線」と呼ばれていたらしいと知れる。けれど、国有鉄道による踏切付名は正規の道路線名を採用するとは限らず、その名称は、ここでの道路史には登場しない。それを勘案しても「北見」と「湧別」と云う広域地名を名乗るには、ある一定の時期に両地域を結んだ主要道だった証と受取れもする。

ムカ原野とイクタラ原野を連絡した最初の「道路」は、1891年秋には完工していたであろう北見道路(中央道路)を構成する区間とされており、これは留辺蘂から北上し現佐呂間町の共立で左折、丸山(558.3M)の斜面を標高510メートルまで上る五号峠(共立峠)を越えて下生田原に至る経路であった。北見道路は1895年3月23日の北海道庁令23号を以て仮定県道中央線に指定、基幹道路とされた。そして、1919年に五号峠の北方に標高を302メートルに下げる旭峠が開かれると、『道路法』(1919年4月10日法律第58号)に基づく1920年4月の「北海道道路令」(1919年11月25日勅令第473号)での地方費道5号旭川根室線への指定と同時に、同峠に経路が変更されていた。それは道路としての輸送力向上を意味する。
かように旧北見道路出自の道路が幹線であり続けた中で、「北見湧別線」なる経路の開通はいつのことなのだろうか。門外漢は調べ得なかったけれど、米軍が1947年に撮影した空中写真にくっきりと確認出来るところから、戦前期ではあろう。最も順当に、留辺蘂-下生田原間湧別軽便線の建設資材輸送路として開削されたものと考えるならば、鉄道開通と同時期に一般の供用を開始したものと思う。名称すら記録されていない、その常紋郡境越えの峠は五号峠に比して標高を100メートル低下させたばかりでなく、標高320メートルの丸山峠越えも不要としたから、この推定が正しいとすれば、1914年頃から旭峠開通までの5年間ほどは中央線に比して輸送の主体を担っていた可能性もあり得る。けれど、それらしきは、北海道に存在した仮定県道は勿論、その後の地方費道・準地方費道にも見当たら無い。

此の道路が記録に現れるのは、連合軍施政下の一時期に存在した「北海道2級道路15号線」としてである。新制北海道庁による1948年9月の「北海道総合開発計画書」に札幌と主要都市・重要港湾を結ぶ1級道路と、隣接支庁間の2級道路の指定があり、15号は紋別郡上湧別村を起点に遠軽町・生田原町を経て常呂郡留辺蘂町に至る路線とされていた。旧北見道路は1級道路6号(旭川市-現根室市厚床間)とあるから、これが件の「北見湧別線」に間違いあるまい。1954年3月30日には道道111号遠軽留辺蘂線に認定されている。
一方、国道39号線(旧北見道路)の留辺蘂-下生田原間の30キロばかりに旭・丸山の二つの峠の維持管理を避けるべく、ずっと時代の下った1963年に、金華から奔無加川沿いに上金華へと、上生田原からは生田原川・支線沢川の谷に伸びていた開拓道路を結んで開削されたのが金華峠(1973年に現道に改良)である。開通と同時に前後の開拓道路部分も含めて、湧別-遠軽-留辺蘂-置戸経由で網走市と帯広市を結ぶ国道242号線の構成区間となり、これが「北見湧別線」こと道道111号遠軽留辺蘂線を旧道に追いやったのだった。
道道111号遠軽留辺蘂線は1965年4月1日付にて29号遠軽上湧別線と結んで511号上湧別留辺蘂線となり、意外なことには1976年8月31日に認定解除されるまで道道であった。

石北線定期貨物運転の末期、盛夏の常紋郡境を下って往くのは1557列車。コンテナ車 7両の350t牽引には、所定の補機運用が省略されていた。
この日も早朝に金華へと降りて、かつての道道を既に無人となった常紋信号場へと歩いた。北海道らしく湿度も低く、快適なトレッキングと覚えている。
さて、旧北見湧別線の踏切名称付名は「旧」の付される以上、金華峠開通以降の比較的近年、しかも道道上湧別留辺蘂線の時代のことであろう。それが設置時に、即ち道路の開削時に何と呼ばれていたかは、終ぞ知り得なかった。それ次第では設置時期も推察可能ゆえ、鉄道省札幌鉄道局による線路略図など所蔵の方が居られれば、ぜひとも御教授を請いたいものだ。

[Data] NikonF3P+Distagon 28mm/F2.8 with Adaptor 1/250sec@f5.6 Fuji SC52filter Tri-X(ISO320) Edit by LightroomCC on Mac.

道路の門外漢には、大島仁氏による労作「道道資料北海道」を参照させていただいた。

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