"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

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女満別 (石北本線) 1973

memanbetu-Edit.jpg


ここでは「駅寝」に失敗した、と言うか断られたのである。
前に書いたとおり、例によって遅い列車で到着し、駅員に「機関車を撮りに来たゆえ、待合室で寝かせて欲しい」と頼み込んだのだが、頑として断られたのだった。
後で考えると、中間小駅ならば宿直駅員の裁量で融通を効かせて貰えたのだろうが、特急停車駅程度の規模で深夜帯の待合室閉鎖が原則となれば無理な注文であった訳だ。
駅員氏は、その傍若無人な要求者を疎んじるでなく、「近くの旅館に泊まれ」と勧める。旅館に覚えもなく、女満別と言えば温泉地のそれに宿代からも躊躇していると、電話を取り自ら宿賃も交渉してくれ、「素泊まり500円でどうか」と告げた。
当時としても破格の値ではあったが、その頃の貧乏旅行からすれば出費には違いない。けれど、9月の終わりの冷たい雨の夜でもあり、諦めて(?)その晩は宿泊まりにしたものだった。

記憶が定かでないが、確か『湖畔荘』と言ったその旅館は、古いけれどこじんまりとして小奇麗な宿で、今なら好んで泊まりたくなるようなところだった。炬燵に入って雪見酒でも呑めば極楽の宿に違いない。
このことを思い出して調べてみたけれども、現在『湖畔荘』なる宿は見当たらず、とっくに廃業してしまったようだ。
温泉を楽しみ、その晩は久しぶりで手足を伸ばして眠った。

まだ小雨模様の残る翌朝、西女満別方へロケハンをしたものの良いポイントは見つからず、小さな切り通しになった樹林帯のカーブで列車を待った。
ほどなく軽やかなブラストが聞こえ、やって来たのは急行<大雪>崩れの網走への通勤列車1527列車。

この当時、60年代末期に始まる国鉄の生産性向上運動(マル生運動)に端を発する、その推進方法を間違えた国鉄当局とこれに順法闘争で対抗する国労/動労との対立が政治を巻き込んで先鋭化しつつあり、これが72年の春闘を激化させ、上尾暴動を誘発して、75年の十日間に渡って国鉄を麻痺させた「スト権スト」の交通ゼネストへと繋がって行く。
組合側は、その「マル生粉砕」などのスローガンを車体にペンキで大書きして走らせ、これをアジ演説ならぬ「アジ列車」と呼んでいた。
写真でも機関車のテンダとグリーン車スロ54に、それが見て取れる。
多少なりとも学内闘争にも参画した身としては労組の主張を理解するものの、鉄道写真屋の立場なら困ったものではあった。
今にしてみれば、時代の記録である。

[Data] NikonF+P-Auto Nikkor50mm/F2 1/500sec@f8 Y48filter Tri-X(ISO400) Edit by CaptureOne5 on Mac.
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コメント

駅ネ

こんばんは。

駅ネがらみのハプニングも語れば尽きないところがありますね。
深夜に夜行列車の発着がある駅は終夜解放、
とアタリを付けて行くのですが、そういう輩が多いのか、
ホンの1~2時間閉めるような嫌がらせっぽい所もあって泡を食うことも。
でも私の場合は余程情けない風に映ったのか、
「まあ、いいか。風邪ひかない様にね」と救われていました。

  • 2012/03/01(木) 21:32:21 |
  • URL |
  • 風太郎 #ORZvdv76
  • [ 編集 ]

コメントありがとうございます。

73年頃の深川駅でしたが、嫌がらせじゃあないでしょうが、
夜中に起こされ乗車券の提示を求められたことがありました。
寝袋まで持参の万全の体制で寝てたから、とても列車利用の旅行客に見えなかったのかも。

深夜2時から3時までだけ待合室閉鎖ってのは、北陸線の富山とか金沢がそうでした。
その間だけ散歩して戻るつもりが、電話ボックスで朝まで爆睡したことも。

  • 2012/03/05(月) 01:58:20 |
  • URL |
  • Wonder+Graphics #-
  • [ 編集 ]

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