"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

七飯 (函館本線) 2008

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大野平野から無沢峠の直下、峠下隧道内での施工基面高136M90を経て小沼畔へと標高差100メートル余りを上る既設線勾配を緩和した別線新線、通称の藤城線は1966年9月30日に使用を開始しているから、函館本線無煙化までの7年間、ここを蒸機列車が通過していた。
10パーミルに緩和の標準勾配には、重連運転や渡島大野からの後補機は失われたものの、力行は約束されていたし近代的な真白いコンクリートラーメン高架橋との組合せも面白く、幾度となく通ったものだった。畑作地に農家の点在するだけだった周囲から見上げるのは勿論に、柵すらなかった橋脚のタラップを上って線路際より七飯構内からの盛土築堤を駆け上がって来る姿を捉えたり、眼下の仁山回り既設線の俯瞰を試みたりもしていた。直下に住宅の目立つようになれば、このタラップ上り口には鉄製の柵の巡らされたものの、1990年頃までなら北海道旅客鉄道函館支社に申し入れて撮影許可も得ていたけれど、昨今のごとき状況下では門前払いが関の山であろうか。

当然に、延長913メートルに及ぶ陸橋自体の俯瞰を考えぬ訳も無く、当時に1本しか無かった城岱牧場への登坂路周辺や送電線直下の保守用通路など斜面を探索するも、その時点で適当な地点を探し得えずにいた。ところが、とある月刊誌(鉄道雑誌では無い)に陸橋上の蒸機列車をほぼ正面から撮影したカットを見掛ければ、やはり撮れる位置は在るのだと些かに悔しくも思い、その写真からおおよその位置を、かなり西寄りの送電線保守通路付近からと五万図上で当たりをつけて再度探索に出向くも発見出来ず、斜面を彷徨った挙げ句に辿り着いたのが、俯瞰と云うには高度の物足りない畑作地だったのである。けれど、既に蒸機の無いことには写欲の沸かず、1980年に<ニセコ>が14系に置き替わるまで永く塩漬けにしておいた。→ 七飯 (函館本線) 1983

その位置は、2000年3月に開通した函館新道の用地となって失われてしまうのだが、同工事には前記の城岱牧場への登坂路(町道桜町8号線)が付替られて眺望の開けるところとなった。四半世紀を待った位置とでも云おうか。
早朝の低い斜光線に高架橋を上るのは3061列車。
C62に牽かれて高速で駆け上がって往く<ていね>編成をここで撮りたかったと、つくづくに思う次第。

[Data] NikonF5+AT-X300AFPRO300mm/F2.8D 1/60sec@f5.6 Fuji LBA2 filter Ektachrome Professional E100GX [ISO160 / 0.5EV push] Edit by LightroomCC on Mac.

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