"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

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張碓-銭函 (函館本線) 1982

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東京と航空機で往き来しながら福岡に仮住まいしていた頃、筑肥線の今宿から今津橋を渡った洲ノ崎の漁港で、岸壁を這い回るムカデのような生物に驚いたことがある。近くで作業する漁師の網に同類が何十匹と張付いており、尋ねて気がつくのだが、恥ずかしながら生きたシャコの初見であった。鮨屋カウンターの冷蔵ケイス越しには幾度も対面していたと云うのに、水揚げされたばかりのそれがほのかな琥珀色とは思いもしなかったと記憶する。博多湾は、その浅海の泥中にシャコが棲息し、初夏に旬が楽しめた。

大消費地である首都圏に眼を向ければ、そこに流通しているものは、かつてには東京湾や瀬戸内産が多かったが、現在には北海道石狩湾の水揚げが大半を占めると聞く。それの20センチに迫らんとする大振りの個体が市場に好まれていると云う。
石狩湾には古から棲息していたのであろうが、商業漁獲の始まりは1950年代に激減したニシン漁の代替としてであった。終点に着いた電車の酔っぱらいを車掌が起こす有名な小咄、「お客さんもう車庫ですよ」「なにぃ、シャコでもいいからもう一杯呑みてぇ」の通り、かつてには下魚の扱いだったのだけれど、鰊の群来の無くなってしまった沿岸では、それを穴埋め出来る魚種など無く、とにかく泥底をさらえば幾らでも獲れたシャコに縋ったと云うことなのだろう。おそらく、当時には大半が漁師家を始め沿岸だけでの自家消費だったろうが、カニ・エビと異なる独特の旨味が市場に受け入れられて、今や小樽市や石狩市の漁協は地域ブランド化を推進するまでになっている。
漁期は脂の乗る抱卵期の4〜6月と脱皮を終えて身入りの良い10〜12月であり、海岸から100から300メートル前後、水深10から30メートル程の泥底への刺し網漁法による。海の荒れて海中の濁った際に捕食に巣から出る習性を利用して、時化前に網を海底に被せておき、それの収まってから引揚げるのである。よって、一般的な漁と異なり、漁期に時化の日の多い程に漁獲量が増える。
石狩湾岸では約80の漁業事業者に第二種共同漁業権が許可されていると云うが、1トンから5トン程度の漁船規模で操業が可能であり、全て零細(個人)事業者により担われている。

小樽市張碓町の恵比寿島(岩)に、昔から小さな船溜りに漁師小屋の設けられていたのも、おそらくはシャコ漁のためなのだろう。そう云われてみれば、真夏にも冬期にも船の出ているのを見掛けたことは無い。
恵比寿島を車窓に降雪の石狩湾岸を往くのは12D<北海2号>。後追いである。
前年秋のダイヤ改正で<宗谷>の札幌以南区間を分割・格上げした運転であった。画角の幾度かの既出はお詫びする。この位置にも季節毎に立ったものだった。

シャコは鮮度の落ち易いため、大抵は網から外されてすぐに漁師自らの手で巨大な釜にて浜茹され、氷蔵の上で出荷される。首都圏へと運ばれているのは皆これである。浜では少量ながら活けも出回っており、小樽市内の鮨屋で食することが出来る。海のモノなら鮨も刺身も好む酒呑みとしては当然にそれもいただいているのだが、シャコはやはり浜茹、しかも茹でたてを食らうべしとは書いておく。

[Data] NikonF3P+AiNikkor105mm/F1.8S 1/250sec@f4 Fuji SC40M filter Tri-X(ISO320) Edit by PhotoshopLR5 on Mac.

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