"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

様似 (日高本線) 1968

samani_03-Edit.jpg

1926年12月7日に日高拓殖鉄道が静内に達した際、その終端駅設備として設けられたであろう転車台や給炭水施設が、車両や乗務員配置を得て静内機関区とされるのは、様似までの日高線全通を経た後の1938年3月10日と記録される。
苫小牧から佐瑠太までが改軌された1929年11月26日から、それの静内に及ぶ1931年11月10日の約2年間は、苫小牧機関区に所属していた762ミリ軌間車両は静内に移されていたはずだし、改軌後も末端側の運行拠点だったはずなのだが、おそらくは永く駅長に所管され車両も要員もそこに属していたのだろう。
10年を経てせっかくに独立した現業機関となった静内機関区も、戦後の1959年11月1日の日高線管理所発足には乗務員をそれの所属として、室蘭機関区の静内車両分所に改組されてしまう。管理所の廃止後も、ここは二度と本区と呼ばれること無く、追分や苫小牧機関区の静内支区であり続けた。

そして、1937年からの終端駅である様似に所在の施設もその度に名称の変わったことだろう。それが様似駐泊所だったのか給炭水所だったのかは知り得ぬままで居る。
上下本線をそのままに構内外れまで延長すれば、木造の給炭所と煉瓦積の土台に載った給水タンクが線路を挟んで向き合っており、その先は人力に頼る転車台に達していた。小さな施設には給炭水線に転向線に留置線を兼ねた線路と云うことである。
空間の広い構内の行き止りにそれだけがポツンと置かれるが印象的であり、詰所や休憩所が附属していなかったのは、それには駅舎を用いていたからだろう。
この頃のダイヤなら、朝の8時から9時頃、昼の14時から15時過ぎまで、そして夕方18時から19時頃の一日3回、ここで給炭水を受けたC11が休んでいた。札幌から日帰りで訪れていた当時、苫小牧操車場を早朝に出る1893列車を始発列車と後の急行で追いかけながら様似に達すれば、先着したその牽引機が人気の無い給炭水線に佇む姿を目撃したものだった。

この日も給炭水線に居たのはC11210。この機関車には日高線へと向かう度に出逢っていた。調子の良い個体だったのかも知れない。
日高の山系が背景となる絶好のロケイションには、今なら随分と拘っただろうが、作画意識も拙い此の頃には気にもしなかった。
まもなくに機関士と助士が戻り、日本電工の専用線から貨車を引き出せば、それを組成した1896列車を牽いて静内へと帰って往く。

[Data] NikomatFT+P-AutoNikkor135cm/F4 1/500sec@f4 Y48filter NeopanSS  Edit by LightroomCC on Mac.

関連記事

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
http://northernrailways.blog.fc2.com/tb.php/836-c5d143f2
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

FC2Ad

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。