"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

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倶知安 (函館本線) 1978

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徒歩の鉄道屋なのだが、撮影とのタイミングや運行頻度などからバス便が利用可能なら勿論乗っていた、とは以前の記事に書いたことがある。
均一周遊乗車券が使えた国鉄バスは機会の多く、洞爺駅前とエントモ岬に出入りした有珠中学校前と若生町停留所間に加え、豊浦市街とも往き来した伊達本線(豊浦駅-伊達紋別駅間)や、石狩湾に恵比寿岩を見下ろす西春香停留所と小樽築港駅なり銭函停留所(駅まではやや距離が在った)の間の札樽線(札幌駅-小樽駅間)には良く乗っていたし、北広島駅(東側に在った旧駅舎)と江別駅を直行出来た空知線(江別駅-恵庭駅間)は、椴山あたりと新夕張川橋梁との掛け持ちに便利だったと記憶する。
民間バスも、函館線普通列車の時隔を埋めた函館バス長万部線の森駅-長万部駅間ではあちらこちらで乗降し、時隔の空き過ぎていた旭川から塩狩峠へは道北バス名寄線の急行便を使っていた。
都内や近郊都市圏では確保されない定時性から決して乗りたいとは思わないバス便だけれど、列車で移動するばかりの旅先なら、渋滞の無い道路の法定速度に忠実な淡々とした走りには沿道の車窓を楽しませてもらったものだった。

倶知安峠を越えての倶知安駅と小沢駅の間もバスの運行頻度の高い区間だった。倶知安と岩内を結んだニセコバスの小沢線に加えては、同社による昆布温泉・ニセコ駅前-小樽ターミナル間路線も小沢駅前を経路としたからである。1978年12月号の「弘済会の道内時刻表」に拾えば小沢線の16往復に小樽連絡の9往復運行が見て取れる。但し、小樽方面は急行便であり、倶知安峠途上のワイス温泉やら峠下停留所で乗降しようと思えば小沢線に限られた。

雪晴れの強い陽光に峠下地区の山脚を往くのは、苗穂機関区キハ22の運用だった902D<らいでん2号>。
小沢で岩内行きを4941Dとして切り離せば、この区間は倶知安から普通列車の522D長万部往きに併結となる1両と倶知安止まり1両の2両組成が所定なのだが、スキーシーズンのこの日は蘭越までの<ニセコスキー>1両を併結しての3両編成であった。<らいでん>とは別に与えられた列車名称も、これが江別発着だった当時にはそれなりに意味も在っただろうが、札幌発着の一体運用となれば<らいでん>の増結車と何ら変わりは無い。愛称は誘客上の事由にて残されたものだろう。編成の真ん中の1両が当該臨時運用に当たる。
この日は函館からの41列車を未明の小沢に捨て、ワイス付近で峠を下る11D<北海>を捉えてから、小沢線のバスにて倶知安側の峠下停留所に降りたのだった。勿論、北四線踏切を目指しての目論みだが、肝心なことを忘れていたのである。冬期に除雪されないその位置まで、息を切らしての40分あまりのラッセルと覚えている。写真はその途上からのもの。

[Data] NikonF2A+AiNikkor180mm/F2.8ED 1/500sec@f8 Y48 filter Tri-X(ISO320) Edit by LightroomCC on Mac.

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