"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

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釧路 (根室本線) 1979

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釧路駅前から徒歩でも間近に位置する幸町公園に「北海道鉄道千哩記念塔」なる碑が建てられている。永年の鉄道屋とは云え、この手の鉄道碑を巡る趣味は持ち合わせていないので訪ねたことは無い。
最近には、折からの「鉄道ブーム」とやらに俄鉄道リポータからの報告がWebに散見されるのだけれど、自ら調べたでもない受け売りの情報が語られ、それの誤っているばかりか、肝心のことが記されていないので書いておきたい。

この碑は、1896年に北海道庁臨時北海道敷設部の技師となり、1898年11月5日にそれが鉄道部に改組されると部長に就任した工学博士田辺朔郎が、1896年公布の「北海道鉄道敷設法」を根拠に計画・建設を推進した道内鉄道網が、1880年の幌内鉄道以来に延長1000マイルを越えて発展したことを回顧し、退道後に奉職した京都帝国大学の学長をも辞し、各地の鉄道建設事業を指導していた1927年3月に私費にて建立したものである。田辺本人は、自らが経路選定に原生林を踏査した多くの体験の中でも難行であった狩勝峠(彼がその命名者でもある)への建立を希望したようであるが、事由不明ながらそれの叶わず、これも彼が道東での鉄道起点に選定したことで発展した釧路市が誘致を申し出たのだった。
市内鶴ヶ岱の春採湖を見下ろす丘の一角に、1000年の風雪に耐えることを願って石材で築かれた塔壁の四方には、自筆による「明治15年11月、手宮-幌内開通から始まり、明治45年9月、釧路-旭川間開通、そして大正5年5月延達千哩」との碑文や、当時の釧路市長からの寄稿を刻んだノルウェイ産エメラルドパールの額石が埋込まれていた。そして、その塔中には当時の記録資料や文献が銅製の箱に収めた上で安置されたのだった。
ところが、戦後1958年に至り、釧路市立東中学校(現幣舞中学校)の拡張により解体・撤去されてしまう。碑石は保管され、1963年には同じ鶴ヶ岱に再建の叶うのだけれど、肝心の銅箱に収められた文献は関係者らが勝手に持ち帰ったものか、散逸し行方不明であり、その責任追及もなされぬままである。鉄道史研究には貴重な一次資料であったろうに、文化に敬意を払わぬ行政により失われたとして良い。
再建されたは良いけれど画竜点睛を欠き、やがて忘れ去られ草に埋もれるままの記念塔は、釧路鉄道管理局の手により、鉄道開業95周年にあたる1967年10月14日の「鉄道記念の日」に記念事業の一環として釧路駅前広場の一角に移設されるも、ここでも後の広場の整備・拡張のため、現在の幸町公園に再々度移設されたのである。
そこが、かつての初代釧路駅、1917年からの初代浜釧路駅構内の一部だったとするのが事由らしいが、より正しくは1952年度まで釧路機関区が所在した位置である(1953年3月14日付にて移転)。
なお、建立当時の石積の形態や土台の造作は移設の都度に失われている。特に1963年の再建時のものはオリジナルと似ても似つかない。

さて、碑文で田辺は延長1000マイル到達を「大正5年5月」とし、実際にこの1916年5月29日には札幌を始め函館や釧路でも「北海道鐵道千哩祝賀會」の開催されたのだが、この日を以て1000マイルに達した事実は無く、この時期・日程の選ばれた事由は調べ得なかった。
確かに、前年の11月1日付での湧別軽便線下生田原(現安国)-社名淵(後の開盛)間開通にて、官設・国有鉄道線は972マイルとなり、私設鉄道も12月1日の登別温泉軌道の開業にて30マイルに達して、これを合わせれば1000マイルを記録していたものの、国有線のみでは、1916年11月1日に開業の宗谷線小頓別-中頓別間と11月21日の湧別軽便線社名淵(後の開盛)-下湧別(後の湧別)間を待たねばならなかった。
当時の中外商業新報もその1916年5月29日付社説にて、これを祝賀するとしながらも「厳格なる計算に於ては一千哩に達せざるに拘わらず、北鉄一千哩と称し祝賀会を開く、余輩其意の在る所を知るに苦む」と書いている。
なお、開業延長実績は「北海道國有鐵道建設誌」(1915年鉄道省北海道建設事務所)所載のデータに依った。

1917年12月1日に、当時の市街地外れの原野に移転の釧路停車場は、貨物扱いの旧駅存置を前提にしていたから、極めて単純な通過駅の配線だったと思われ、それは雄別鉄道の接続や浜釧路の仕訳線不足により側線を増設しての貨車操配の時代を経たにせよ、広々と端正な構内の佇まいだった。配線の整理されてしまった現在には余計にそれを感ずる。
上り本線から根室方に進出して往く列車は1413D<ノサップ3号>。
1975年に構内を横断していた踏切に替えて架設の巴人道跨線橋は、今でも構内を見渡すビューポイントであろう。側線にはキハ12や21も見える。キハ12は池田機関区からの疎開車。勿論に全て廃車前提の休車中の姿である。

[Data] NikonF2A+AiNikkor50mm/F1.4 1/15sec.@f4 NON filter Tri-X(ISO320) Edit by LightroomCC on Mac.

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