"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

富浦 (室蘭本線) 1984

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以前の記事 富浦 (室蘭本線) 2008 にも記したとおり、蘭法華岬を先住民族はリフルカ(Ri-hur-ka=高い丘の上)と呼び、そこは彼らのハシナウシ(hasinaw-us-i=幣場)でもあった。海面からの比高60メートル程のこの岬は、先住民には安易に近づくことが戒められた神聖なる地であり、その基部にはアフンルパル(ahun-ru-par=入り口の意)も存在したのである。

原初的アミニズムと云われる先住民族の信仰には門外漢ゆえ、受け売りをお断りするが、彼らのあの世とは地中深くに存在するポクナモシリ(pokna-mosir=下方の国)であり、対しての現世はカンナモシリ(kanna-mosir=上方の国)とされる。死者の魂は神となってポクナモシリに帰り往き、神の生活に飽きた頃に人間や獣などに再び姿を変えてカンナモシリへとやって来るのだと云う。
アフンルパル(若しくはアフンルパロ=和人の聴き取りの違いによる)とは入口を意味する言葉に過ぎぬのだけれど、多くは伝承を伴い、この世を去った人々の暮らすカムイコタン(Kamuy-kotan=神の国)たる地下のポクナモシリへ繋がる通路と伝えられる。ゆえに自然の洞窟や横穴が対象なのだが、ここは、上縁部での長径の約30メートル、短径の約22メートルの楕円形を成し、深さ5メートル程に底部長の約10メートルの擂鉢状を呈する明らかな人為的掘削抗に加えて、6〜7段の「奇妙な階段」が周回していたと云う。道内各地に残るアフンルパルの遺構の中でも人工の、しかも竪穴は特異に違いない。何らかの祭祀的儀式の場とは想像に難く無いが、それがどのようなものであったかは解明されていない。何れにせよ、この岬は神となった人々と交信する祭祀の場であると同時に、死者とも見(まみ)える霊域でもあったのだろう。もっとも、あの世への入口とする伝承は、それの「地獄穴」との説明を含め、あくまで和人を近づけぬための口実だったとする説もあり、その祭祀とは、より呪術的なるものだったのかも知れない。

1955年に知里真志保や山田秀三らにより、それを覆っていた植生を取り払っての調査・計測が行われ、前記のデータはその際のものなのだが、遺跡保存策の無い中での破壊を恐れて発掘を含む本格調査は先送りされていた中で、アイヌ文化への尊厳意識の無い時代だったゆえか、僅か数年後には国道36号線富浦バイパス建設の用地に供され、1967年までには南側の四半部分が失われてしまった。今、切取にて通過する国道の北側法面を直登した位置に、その遺構が眠っている。
一度は見物をと思いながらも、身の丈ほどの熊笹との延々の格闘を覚悟せねばならないここでの撮影では、そんな気力の失せてしまって果たせてはいない。
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=参考文献=
あの世の入口―いわゆる地獄穴について― : 知里真志保・山田秀三(1956年)「北方文化研究報告 第十一輯」所収
   
写真は、富浦の海岸線を往く3D<北斗3号>。
北海道におけるキハ80系列運用の末期にあたり、既に札幌運転区の配置は無く、函館運転所の66両が7両基本編成-5運用、附属2両組成-3運用に、使用41両/予備25両で運用されていた頃である。異常に多い予備計上の内10両は1984年2月改正での保留車で、第二種休車を経て同年夏までに用途廃止が通達された。
運用列車は、<おおとり>に<北斗> <北海>の計5往復列車だけなのだが、キシ80は全てで営業していた。しかも、北陸特急などは紙皿を用いた簡易営業となっていたにかかわらず、日食北海道による手抜きの無い接客であった。

[Data] NikonF3P+AiNikkor180mm/F2.8ED 1/250sec@f8 Fuji SC48 filter Tri-X(ISO320) Edit by PhotoshopCC on Mac.

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