"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

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北舟岡 (室蘭本線) 1990

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今、北舟岡に降りると駅前広場と呼ぶには躊躇する空き地の広がり、段丘面上の道道779号南黄金長和線(旧国道37号線)へは土道が続いている。これは伊達市の都市計画に基づき造成されながら、その後の情勢変化にて、謂わば打ち捨てられたものである。
その計画決定は古く、1950年代からのことになる。1890年代に通じた長万部室蘭間道路に始まる一級国道37号線の新道バイパスが市街地北側通過と決定し、幹線輸送力増強を目指した国鉄の第二次五ヶ年計画下で、旅客も便宜的に扱う北舟岡信号場の新設となれば、将来の駅昇格を視野に新国道よりそこに至る都市計画街路が1962年3月13日に公示されたのである。そして、この街路西側までが市街化区域(当時にこの用語は無い)とされ、早速に団地造成の土木工事も始められた。後の見晴台団地である。北舟岡の駅を核に駅前通りを整備し、段丘上への市街地形成を誘導する目論みだったろう。
1960年代を通じての経済成長、70年代に地域的にも続いた都市部への人口流入と核家族化により、伊達市の人口は1970年に30117人と3万を越え、1980年に3万5千人に達して以降現在まで横這いとなっている。道内から地方都市から人口流失の続く中では異例とも云え、土地区画整理事業として1976年に始められた「舟岡シーサイドニュータウン」造成を経て、伊達市が市街化区域とした舟岡町は、2010年の国勢調査にて2734世帯、6770人の人口を擁するまでに市街化の進んだ。
そこは基盤整備も十分に為された住宅街を形成して、市の先見は功を奏したとして良さそうなのだが、この間のモータリゼイションの進展には鉄道は見放され、北舟岡は駅への昇格どころか信号場の廃止には辛うじて仮乗降場にて存続したのみだった。前記都市計画街路の道道より北の部分は植生も整備された住宅街の街路となっているのに対し、駅へと通ずる南側は土道のままに残された所以である。

軌道インフラは優等旅客や貨物輸送に必須なのだから、室蘭を起点に伊達紋別との間での短編成気動車によるフリークエントサーヴィスは新たな投資無くして可能であり、同区間運行のバス便から一定の乗客を奪えそうにも思えるが、道南バスのその路線すら閑散線とあっては北海道旅客鉄道の動くはずも無い。

写真は、北舟岡の旧信号場場内に差し掛かる9002列車<トワイライトエクスプレス>。
一般多客臨としての運行開始から間もない頃である。スロネ25の未組成でそれと知れる。なお、列番の8000番台付番はこの年3月改正からのことであった。

[Data] NikonF3P+AiNikkor50mm/F1.4S 1/125sec@f8 Fuji SC48filter Tri-X(ISO320) Edit by LightroomCC on Mac.

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