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先日訪ねた時は雪に埋もれていて分かりませんでしたが、
田んぼになっているとは知りませんでした。まるで内地のような田園風景。
カラフルな編成には驚きますが、こんな時代もあったんですね。
内地からの移民たちは、それが何故の移住者であっても、いつの時代の移住者であっても、
水が得られて、地形が土壌が相応しければ、まずはコメを作ろうとしたのでしょうね。
勿論、栽培法の研鑽や品種改良の努力は続けられたにせよ、気候の許す限りに
稲作の北限は北上して、羽幌線北部など水田と北アイルランドのような牧草地が隣接する
国籍不明の車窓を産み出すに至ったのでしょう。ここ、礼文の平野など内地そのものの景観です。
予定臨の9009とは、本来に<カートレイン>用に引かれたスジでしで、速度種別の特通客F2は
このような北斗星系統には物足りない運転でした。機関車は重連じゃありませんし。
長万部で定期の3列車を退避した上に、札幌ビール庭園では<エアポート>にも線路を譲って
いたのです。
快速(普通列車に含まれます)を退避する特急など、実に希有な事例でした。
Author:Wonder+Graphics
好きが高じての職業カメラマン。
でも、鉄道では食えないのはわかってましたので、こちらは趣味の写真です。
記録が1996年で途切れるのは、
この年でモノクロ撮影を止めたからです。
コダック社のTri-X filmをISO320で撮影し、コニカ社のコニドールファインの希釈液で減感現像、それを三菱の月光2号に焼いていたのですが、この現像液や印画紙が入手し難くなり、これも時代の流れとばかりにリバーサル撮影に全面移行してしまいました。
一度渡道すれば1週間から10日を年に4、5回。
少なくとも一年の内ひと月は
北海道に「暮らした」計算です。
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本ブログの姉妹編にして、その内地版の
70's/80's Monochrome Age and Years of Ektachrome film
も書いています。
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そして、2015年1月からスピンアウト版ブログ
[外伝]"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachrome の頃
も書き始めました。
どうぞ、お立ち寄り下さいませ。
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