"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

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函館 (函館本線) 1990

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駅なら夜間でも(動体が)撮れるのは1980年代半ばまでは常識だった。煌々とした構内照明の大駅ならISO400でも絞り開放では1/125秒が切れることもあったし、僅かな灯りの構内でも画質の許容出来る範囲に在ったISO800まで押せば何とか写し止められた。例えシャッタ速度の1/30秒程度しか確保出来なくて被写体のブレても夜間動体撮影の表現に違いなく、寧ろその方が本筋ではある。
ここにも幾度か書いているが、これの揺らぎ出すのは、国鉄が貨物輸送をヤード作業を廃した直行輸送への転換を決めた1984年2月改正以降のことである。車扱からの大幅な撤退により夜間に作業を要していた組成駅や中継駅のほとんど全てで、それの撤廃されれば構内を照明するまでもない。当時にこの変革の意味するところを理解し十分に承知もしていたのだけれど、構内照明の減らされ落とされ、闇に沈み込んで往く駅の次第に広がるには困惑した覚えが在る。
旅客輸送においても、運用合理化の要求からダイヤ改正毎に入換駅や滞泊駅が集約され始め、それは1987年4月の国鉄の分割・民営化以降には極端なまでに進んで、照明に浮上する構内など希有な存在と成り果てた。

ここ函館についてのそれは、1988年3月改正での青函貨車航送廃止による。昼夜分たず行われていた組成、分割、入換をともなう航送の作業が、この改正を境に無くなったのである。終航後も暫くは構内照明も変わらずに点されていたが、同年8月の連絡船の遊覧運行終了を待って着工し、最終的には現行駅舎の使用開始まで14年あまりを続けられた、函館市都市計画と連動した構内改良工事の過程にて照明塔は全てが撤去されてしまった。この一連の改良工事については、函館 (函館本線) 1988函館 (函館本線) 1978 に書いている。
ロープウェイで函館山に登頂し、かの高名な夜景を眺めれば、照明塔の残された函館運輸所の一角を確認できるものの、かつてには函館桟橋とともに一際明るく視界に目立った構内は、ホーム照明を遮る上屋群の存在でそれと知れるだけである。

写真は、函館に進入する6列車<北斗星6号>。
長万部で2と4列車をバルブで収め、30分後にやって来る最終の<北斗>で函館に移動、6に8008列車を待ち構える手順は幾度か繰返した。快速<ミッドナイト>で折返したいところだが、それは時刻的に叶わず、下り<はまなす>を待つことになっていた。
第4乗降場が運用を開始し、第2・第3乗降場の旧桟橋側が使用停止となった頃で、既に照明塔の消灯しており、運転所から漏れ届く灯りだけが頼りだった。

[Data] NikonF4s+AiNikkor105mm/F1.8S 1/30sec@f2.8 NONfilter Tri-X(ISO320) Edit by PhotoshopCC on Mac.

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