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"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

大岸 (室蘭本線) 1991

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今には想像もつかぬかも知れないが、特急急行列車とは威厳を伴った正に特別な列車であった。それによる列島ネットワーク形成の端緒となった1961年10月のダイヤ改正で、それまでの9往復から26往復へと大増発されたにせよ、大衆化には程遠い時代のことである。
それでも小樽に暮らした家族は、父母の故郷である水戸市への帰省に駅へと出迎え、見送りに来る親戚筋への見栄も在ったものか、時には普通急行料金の倍以上だった大枚を叩いて、気動車に置替られたばかりの<はつかり>に乗ったものだった。大人も子供も限られた利用客層に見劣りせぬよう、一張羅を着込み、精一杯のお粧しをしてのことで、背広姿の父に、ワンピースに大きな帽子の母、そして半ズボンに白シャツを着せられ、ズボン吊りにチェックの蝶ネクタイと云う出立ちの自分が水戸駅頭での写真に残る。憧れの「ディーゼル特急」に乗れる喜びと共に、車中の振る舞いの緊張感も永く記憶している。

先の白紙改正では北海道にも「ディーゼル特急」は走り始め、休日には札幌駅へ「汽車」を眺めに通った1960年代半ばには<おおぞら><おおとり>の2往復となっていたが、一日に4回の着発時刻の近づけばホームの着飾った乗客に見送り客で溢れるには違いなく、それは札幌駅の特別な時間だったろう。接近を告げるアナウンスに、やがて静々と苗穂方から入線して来るキハ82の端正な前頭形状に長い編成は威厳に満ちて、近寄り難さすら覚えたものだった。まだ、そのデザインを優美とは感じ取れない年代とあっては、何故にそれが<はつかり>と同じキハ81では無いのか不満も抱いていたのだけれど、「ディーゼル特急」の存在感には圧倒される5分間でもあった。

1970年代を通じての勢力の拡大は、同時に特別急行列車の普遍化でもあったのだが、函館で連絡船の接続を待つ周遊券では乗れないそれは、威風堂々の姿だったとしても良い。けれど、1980年に後継系列のキハ183系の投入が始まれば、その増備に配置から20余年を経た1982年度より用途廃止の始まり1986年11月改正にて定期運用を離脱、食堂車も特別車も含まない組成で臨時特急など波動輸送に余生を送ることになったのだった。それは、配置を札幌運転所の5両にまで減らしながらも6年間、1992年の夏まで続いた。

写真は、団臨充当のため札幌運転所から函館へ向けて回送中の姿。かつてには最大14両組成のエンジン音で周囲を威圧したことなど嘘のように軽々と走り去って往く。
翌年10月の用途廃止通達に、異様なトレインマークを掲げての「さよなら運転」などには興味の持てぬ身には、これが走行するキハ80系列の最後の目撃となった。

[Data] NikonF4s+AFNikkor180mm/F2.8ED 1/500sec@f5.6+1/2 Fuji SC56 filter Tri-X(ISO320) Edit by PhotoshopLR5 on Mac.

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