"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

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上野幌 (千歳線) 1992

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札幌を目指す車窓に感ずることだが、<宗谷>や<オホーツク>のそれが江別から右側に延々と防雪林の続き、その向こうと反対側の都市近郊らしい住宅街が終着の近いことを教えてくれるのに対して、千歳線の<北斗>ではなだらかな丘陵を抜けて往く景観に原生林の眺めから新札幌で唐突に都市に放り出される感がある。それはドラマチックとしてもよかろう。
この厚別丘陵越えの区間、上野幌から北広島へは中間に西ノ里信号場が孤立していた旧線の時代から新線の現在に至るまで札幌近郊に在って多くの写真屋を集めるロケイションでもある。
手稲に暮らした少年の時代、最急13.5パーミル勾配と半径300メートル曲線に前位定位だった補機との重連蒸機の咆哮には、幾度か信号場に降りたものだが、丘陵の樹林を縫う線形には引きの取れず、加えては付近で始まっていた新線の路盤造成工事に土砂の掘り返されて、まともな写真は撮れていない。写真そのものは勿論、障害物を避けて画角を採る技術も拙かったと云うことだ。
撮り易くなったのは寧ろ新線に切替えられてからのことで、以来に渡道の度に少なくとも一日はこの区間にスケジュールを割いていた。沿線丘陵地は一部を除けば落葉樹に覆われ、10月半ばからの紅葉黄葉は今でも外せない定番でもある。
季節に廻り往く光線に幾度も立った地点ばかりなのだが、近年にはその多くが失われてしまったのが残念でもある。上野幌場内から北広島方向を遠望した駅西側の斜面は、直下が切り崩されて新道沿いの宅地と化したし、大曲橋梁を間近に見る熊笹の丘は樹木の成長してそれを望めなくなった。定番の椴山、農場橋近くから上野幌方R=800M曲線を画角にする位置も切取斜面下の樹木に遮られるようになって、もはや以前の位置は取り難い。北広島近くの高さのある輪厚橋梁は、とうの昔に住宅に取り囲まれて絵にはならない。
残るのは、農場橋の北広島方R=1000M曲線を望む画角となろうが、いかんせん電化柱と架線を避けて編成を見通せるいつもの位置へ再びに立てば、近年に増えたその農事橋付近からお手軽に撮る人々の画角に入り込むのは必定でもあるので、少なくとも道内から特急寝台列車の去るまでは遠慮する他は無かろう。

写真は、大曲橋梁を俯瞰気味に見通せた斜面からの1033M<すずらん3号>。この位置も北海道ガスの北広島供給所の設備が建設されて失われた。
道内で電車列車にシャッタを切るなど、本番の特急寝台や貨物のテスト程度ばかりなのだが、1988年3月改正から多客時に施行の781系電車4両組成の2本による非貫通先頭車が向き合う運転には意図的にカメラを向けたものだった。

[Data] NikonF4s+AiNikkor105mm/F1.8S 1/500sec@f5.6 Fuji SC52filter Tri-X(ISO320) Edit by PhotoshopLR5 on Mac. 

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