"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

倶知安 (函館本線) 1982

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個人的には意表をつかれた思いなのだけれど、倶知安の駅前から、かつてに蒸機牽引時代の<ていね>を見送った構内北側の踏切道を渡り、坂道を上って二世古酒造を右に折れる、彼の北4線踏切へと通った道は、1896年に北海道庁により開削された倶知安小沢間道路だと云う。
即ち、その道は1907年5月13日内務省告示58号による「東京ヨリ北海道廳ニ達スル路線」である「國道四十二號」の経路変更にともなう指定から1960年代に現国道の開通するまで、函館市より札幌市に至る国道42号線、後に4号線を経ての国道5号線の一部だったことになる。
1948年に米軍の撮影した空中写真を閲覧しても、確かに倶知安峠を越えて往くのはこの道の他に無い。開削時に確保されたと云う幅の二間、その4メートルに満たぬ幅員は現在にも然程変わらぬとも見え、幾度かそこを歩いての印象も農道そのものであった。
それが国道だったとは俄には信じ難いが、ここでも前に触れた七飯峠下から小沼湖畔に至る無沢峠の道や音別の海岸を往く砂道に、内地版で書いた米坂線沿いの宇津峠越えの砂利道やら五能線とともに北上する細道も皆同様で、つい最近まで日本の道路とは実に貧弱だったのである。戦後の増大する物流にはとても耐えれたもので無かったのは明白と云え、なるほど、鉄道が輸送の全てであり陸上交通の王者だった例証にも違いない。これを思えば、それの僅か10年あまりでの逆転にも意外感を覚えるところでは在る。

写真は北4線踏切近傍からの荷45列車。激しい降雪を突いて峠へと向かう。
白銀の真狩山を期待しながら、翌年も翌々年も降雪の日々にばかり巡り合っていた。ホワイトアウト寸前の光景には、それを逆手に絞りを少し開く。
この踏切で線路と交差する道は前記の空中写真にも見て取れ、古くからその先のクッチャン原野北部の植民に旧國道との連絡に開かれたものであろう。1904年10月のここへの鉄道開通以前からとも思われ、その名称はともかくも北4線踏切は、相当に旧い時代からの存在として良さそうである。
写真にも見える開拓農家が健在な頃には、件の旧國道転じての農道も市街地からここまでが除雪されていたのだが、それの廃屋と化せば、踏切は線路伝いでしか到達出来ない地点となっていた。
線路の積雪は、連日のラッセル車運行によりプラウで踏固められ、まるで舗装路のように歩けたと記憶する。

[Data] NikonF3P+AiNikkor105mm/F1.8S 1/250sec@f4 Fuji SC56filter Tri-X(ISO320) Edit by PhotoshopLR5 on Mac.

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コメント

廃屋の佇まい

吹雪のお蔭で画面が整理され、廃屋農家の侘しさが強調されましたね。
この土地の厳しさが伝わる、好きな写真です。
この当時の山線、通りいっぺんの撮影しかしなかったのが悔やまれます。
借金してでも通えば良かったなあと。

  • 2015/04/04(土) 22:15:14 |
  • URL |
  • 風太郎 #ORZvdv76
  • [ 編集 ]

Re: 廃屋の佇まい

この位置へは、勿論に白銀に輝く真狩山(羊蹄山)を求めて幾年も通ったのですが、
結局のところ、満足の往くそれは撮れず仕舞いでした。
その替わりに手元に残ったのが、シーズン毎に同じだった降雪の光景と云う訳です。
ここでの写真では、主役に、或は点景にと件の農家には随分と助けられました。
まだ、住人の住まわれていた頃から知るそれの廃屋となって、やがては朽ちて往く様が
ライブラリに見て取れます。
跡形も無くなった最近には、周囲の農地も耕作が放棄されてしまった様子です。

  • 2015/04/06(月) 21:44:30 |
  • URL |
  • Wonder+Graphics #-
  • [ 編集 ]

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