"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

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千歳 (千歳線) 1990

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地方幹線の重量貨物列車牽引を想定して設計された、DD51形式本線用液体式内燃機関車も遂に最期の日々を迎えつつ在る。
蒸機の終焉期に、それと共通運用のスジに入り、遠くエンジン音と甲高いホイッスルが聞こえると撮影者たちが一斉にため息を漏らしたのも懐かしい思い出だ。

道内におけるDD51は、狩勝新線の開通に関連して、この区間の無煙化用に66年3月から8月にかけ釧路機関区へ配置の15両を嚆矢とする。翌年には旭川機関区へも6両が配置され、これは塩狩、北見峠越えの補機無煙化用であった。また、釧路へも10両が追加投入されている。
これらは、所謂半重連形と称される一群で、後に区名札差に「半」の札を入れ<狩勝>を牽いて札幌駅頭にも姿を見せていたのをご記憶の方も多いだろう。後にツリアイ空気溜管を増設して重連形に編入された車両もあるが、半重連形とは中途な存在であったのか、その全てが新製配置区を動くこと無く85年度末に用途廃止を迎えている。

函館/室蘭線への投入は、やや遅れて68年5月の函館機関区への3両が最初である。
この3両は無煙化用ではなく、同年10月改正(よんさんとお、である)より運転開始予定の隅田川-新札幌(現札幌貨物ターミナル)間特急貨物牽引用としての新製を、道内の夏期繁忙期輸送に使用すべく早期に落成させたもので、7月1日より気動車運用の急行<アカシヤ>を客車に置替え、これを重連で牽引した。
札幌駅で見聞した覚えがあるが、新鋭の機関車もさることながら、編成に組み込まれていた尾久客車区より借入のナハ10に、その始めて見る軽量客車に興味をそそられたものだった。
無煙化用としての新製配置は、翌69年度の函館/鷲別両機関区への19両に始まっている。
なお、この当時の五稜郭機関区は蒸機区で、ここに内燃機の検修庫の完成する69年度末までは気動車の検修設備の在った函館が配置区とされていたのである。

しかし、この後の投入ペースは遅く、70年度末の時点では根室本線の富良野-釧路間で完全無煙化の実現したのみで、室蘭本線の長万部-東室蘭間の無煙化率が、かなり離れてこれに次いでいたに過ぎなかった。優等列車でも全区間でDD51が牽いていたのは、函館-札幌間の<すずらん>と札幌-釧路間<狩勝>であり、<ニセコ>は勿論、<利尻>や<大雪>も旭川以北では蒸機牽引で残されていた。これらにDD51が就役するのは71年の秋から冬のことである。

道内への投入が本格化するのは72年度以降で、76年度末に至って道内での最大配置両数の235両を記録した。
配置区所も最大の10区所を数え、最も配置の多かったのは岩見沢第二区の42両で、41両の釧路がこれに続いた。少ないのは、滝川区の2両、北見区の3両、追分区の5両といったところだった。
もっとも、この後に進められた動力車基地の集約化により、84年度末の釧路区で51両と言う記録もあるが、これの大半は84年2月改正で余剰の廃車前提の保留車であった。
日本貨物鉄道発足時の鷲別区は44両配置だが、この時点での旅客鉄道も含めた道内での両数は92両まで減っていた。
(この項 大岸 (室蘭本線) 1992 に続く)

写真は、千歳構内に進入する5列車<北斗星5号>。
2月のこの日、千歳市には10時を過ぎてもダイヤモンドダストが舞い、太陽光に輝いて美しい光景を見せてくれたのだが、それを光線より列車優先でモノクロにて撮影すると、銀粒子の荒れにしか見えなくなってしまうと言う手本のような写真だ。
あの金色は、リバーサルフィルムのものと感じ入ったカットである。

この高架から見る千歳の住宅街は、どこか日本離れした端正で奇麗な街並だ。羨ましくなる。

[Data] NikonF4s+AutoNikkor180mm/F2.8ED 1/250sec@f11 PLfilter Tri-X(ISO320) Edit by Photoshop CS3 on Mac.

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