"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

苗穂 (函館本線/千歳線) 1991

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札幌からの函館本線は、500メートル程を進んだ函館桟橋起点287キロ500メートル付近のR=500M曲線で右転すると苗穂直前の288キロ700メートル付近にR=1000Mの左曲線を入れて、豊平川橋梁直前に所在のR=400M曲線に至る。札幌構内が高架駅となった今には、それの北側への移動により苗穂のR=1000Mはより半径を縮めているのだけれど、これは1882年11月13日に幌内から札幌までを開通した官設幌内鉄道以来の線形である。
最後の急曲線は勿論豊平川を最小延長の橋梁で渡河するためであり、札幌近傍のR=500Mは北6条通り(開拓使による空知通り)に設けられた札幌停車場への取り付きに要したのだが、この間を直線としなかった事由が解らぬのである。
道立図書館北方資料ライブラリの収蔵する「幌内鉄道敷地並用地図」(1883年4月 出版者不明)によれば、この間は一部に官有地や勧業地とした土地の所在するものの、大半が個人名の付された民有地を通過しており、当時の札幌市街地図から札幌寄りのそれらの多くは葡萄や林檎の果樹園だったと知れる。苗穂のR=1000M曲線の北側に特に避けるべき対象地なり対象物の存在は見えないのである。考えられるのは、豊平川を渡った路盤はそこで東西方向に存在した道路の一部を敷地とした様子の伺え、その頃には湧水による低湿地の広がっていたとされるここで既設路盤の活用を意図したゆえかも知れない。道路は現在も線路に沿った陸上自衛隊苗穂分屯地前の市道として健在、それが南に遷移して線路と交差する位置に設けられたのが、後の苗穂東通り踏切である。
この辺りを明らかにされた郷土史家もおいでとは思われ、是非にご教授を請いたいものではある。

札幌駅高架化で生じたR=800M曲線を旋回して往くのは、4列車<北斗星4号>。夕陽を背に南下を急かされる。
背景は東11丁目人道跨線橋、苗穂の移転新駅はこのあたりになる。
R=1000M曲線はここからやや直線で後方へ進んだ位置から始まり、地平駅の札幌構内を伺っていた。このR=800Mもそれがなければ生じなかったから、鉄道のエンジニアリングとは100年を超えて残るものと改めて思う。

[Data] NikonF4s+AiNikkor105mm/F1.8S  1/500sec@f8 Fuji SC52 filter Tri-X(ISO320) Edit by PhotoshopLR5 on Mac.

[お断り] このカットは2013年9月に既出です。ただし、レタッチを全てやり直しています。

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