"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

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南稚内 (宗谷本線) 1986

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1869年、開拓使により北見国の郡名に採られ、北海道庁の成立後の1897年に設置の支庁名ともされた広域地名としての「宗谷」の起源は、現在の宗谷岬から1キロ程西方の珊内集落にある。珊内もここで先住民によりサンナイ(san-nay=浜に出る川の意)とされた小さな流れからの地名なのだが、沖合の弁天島まで岩礁の続く海岸の様を彼らはソヤ(so-ya=岩磯の岸の意)と呼んだのである。1685年の松前藩による場所の設置には岩礁を天然の防波堤とした穏やかな海が交易船寄港地となって拠点たる会所が置かれ、和人は先住民の呼称のままにここをソーヤとし、場所もソーヤ場所と定めたのだった。和人命名によるアイヌ語地名である。「宗谷」の当て字のなされた時期は調べ得ていない。
この地点名だった「宗谷」は会所の移転と共に移動する。それが現在の宗谷市街地である。当時にこの地域での中心地に発展し、冒頭の郡名への採用や、1879年の『北海道一級町村制』(1897年勅令第159号)と『北海道二級町村制』(1897年勅令第160号)の公布による行政区画の設置に際しての村名が宗谷村を名乗ったのも当然と云えよう。同時に宗谷郡に設置の、抜海、稚内、声問、泊内、猿払各村を管轄する戸長役場もそこに置かれた。この辺りが広域地名化の始まりと云えようか。
オホーツク海岸と日本海を隔てる宗谷丘陵に、国際名ラ=ペルーズ海峡に対する日本での宗谷海峡の命名時期も明らかにしようとしたが、当たるべき文献が見つかっていない。先達のおいでなら、ご教示願えると有り難い。
1888年には戸長役場が移されて新たな拠点に成長しつつあった稚内村に向けて建設の進められていた鉄道の線路名称は、永く天塩線部の天塩線とされており、宗谷線部の宗谷線に改められるのは、宗谷支庁の設置されて以降の1912年9月21日のことであり、これは北海道北端部に対する広域名称「宗谷」の定着化ゆえであろう。
なお、宗谷岬の名は戦後の日本最北端としての観光向け命名として良く、それまでは大岬と呼ばれていたのである。

列車愛称としての<宗谷>は、1960年7月1日の道内ダイヤ改正にて設定された札幌-稚内間に毎日運転の臨時準急への命名が嚆矢である。道内に気動車準急網の整備の進められた時代であり、苗穂機関区に配備されたばかりのキハ22の2両組成が充てられた。
戦後の宗谷本線への優等列車は1958年10月1日改正での夜行準急が先行したが、1956年の北海道周遊乗車券の発売でブームになり始めていた離島を意識しての<利尻>の付与は、代表列車名としての<宗谷>を温存したものでもあったろう。1961年10月1日の全国白紙改正では定期列車化と急行格上げに函館への延長のなされ、これも新製間もない急行型キハ56/27系列による堂々の本州連絡急行となるのだった。敗戦により樺太を失ってから途絶えていた稚内への連絡急行の復活には<宗谷>愛称の本領と云えただろう。我々の世代には函館山線を越える印象の強いのだが、1964年10月改正までの3年間は<摩周> <オホーツク>に併結の室蘭・千歳線経由だった。

林野火災により周氷期地形の露出したエノシコマナイ(犬師駒内)原野を往くのは、302列車<宗谷>。
1981年10月改正で札幌以南が特急格上げにて分離されれば、編成も短縮された地味な気動車急行と化していたのだけれど、1985年3月14日改正を以ての14系置替には機関車屋/客車屋としては蒸機廃止から途絶えていた稚内通いを否が応でも再開するところとなっていた。

[Data] NikonF3P+AiNikkor180mm/F2.8S 1/250sec@f8 Fuji SC52 filter Tri-X(ISO320) Edit by PhotoshopLR5 on Mac.

〔お詫び〕本業が極めて多忙となってしまい更新の滞り気味です。3月末頃までのこととご容赦下さい。

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コメント

おはようございます。
お写真を拝見し、子供の頃の家族旅行で急行宗谷に乗った記憶が浮かんできました。
当時は既に気動車が寝台車を挟み込んで走るスタイルになっていましたが、お写真の辺りではもう降りる支度も終えて車窓を眺めていたのではないかと思います。
近年では、急行はまなすに乗り、客車が醸し出す旅情はどこから湧き出でるものか考えたりしていました。
何故、機関車の牽く列車に、独特の情感を感じるのでしょう。
私が知らない時代に対するある意味勝手なノスタルジーのような側面もあると思いますが、私にとっては、遠くの知らない世界に連れていってくれる鉄道の象徴になっているように思っています。
そこに、その地域の人も乗っていて、その地域の鉄道マンが人の手で動かしているからこその、他所者が感じ取ることができる情感が、客車には詰まっているように感じています。
他の記事も含め、お写真と記事、楽しませて頂きました。
今後とも、宜しくお願い致します。
風旅記: http://kazetabiki.blog41.fc2.com/?pc

  • 2015/03/25(水) 10:55:01 |
  • URL |
  • 風旅記 #O7xVy9HA
  • [ 編集 ]

Re: タイトルなし

こんばんは、風旅記さん。
お返事、遅くなりまして申し訳ありません。

寝台車の連結ならば、乗られたのは夜行の<利尻>でしょうね。
私は、気動車<利尻>はキハ400系列の頃も、キハ183系の頃にも乗らず仕舞いに撮らず仕舞いでした。
機関車屋を北の北まで連れて往く魅力は無かったと云うことです。

実を云いますと、ファインダーを駆け抜けて往く列車に旅往くそれの情感を感ずることは在っても、
それの座席に腰を降ろしての旅情には記憶が無いのです。
列車の移動はいつも仕事だったり、撮影の旅でも長旅の生活の場であり、移動手段だったからでしょうか。
一度、列車に乗るだけの旅をしてみたいと願って久しいのですが、貧乏性の写真屋には実現出来ずにいます。

  • 2015/03/30(月) 00:20:36 |
  • URL |
  • Wonder+Graphics #-
  • [ 編集 ]

こんばんは。
いつもご丁寧にお返事くださいましてありがとうございます。ご返信を含めて楽しませて頂いています。
撮影のためのお仕事での利用であれば、当然心持ちも変わってくるのでしょうね。私自身が仕事は外出さえ少ないデスクワーク故に、通勤路以外であれば、近郊の路線であっても、自分の意志で行き先を決めて列車に乗ること自体が楽しめるのだろうと思います。
北海道新幹線が年度末に北斗まで開業し、札幌までの延伸も前倒しを検討するそうです。
また大きく変化の起きる時期になりそうです。
今後とも、宜しくお願い致します。
風旅記: http://kazetabiki.blog41.fc2.com/?pc

  • 2015/05/03(日) 20:14:39 |
  • URL |
  • 風旅記 #O7xVy9HA
  • [ 編集 ]

Re: タイトルなし

こんばんは、風旅記さん。
いえいえ、とんでも御座いません。
いつもご返事の遅れまして申し訳ない限りです。

やはり貧乏性なのですよ。
いつも、列車に乗り続ける旅を夢想しながらも、結局は撮る方に回ってしまうのですからね。
何度も写真機を持たずに旅に出ようとしましたけれど、今度は機材の無いと落ち着かない有様で。

  • 2015/05/05(火) 23:31:02 |
  • URL |
  • Wonder+Graphics #-
  • [ 編集 ]

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