"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

塘路 (釧網本線) 1975

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北海道の拓殖初期に利用された輸送路は河川であった。それは拓殖のインフラそのものであったから遡行の可能な河川河口に港の開かれ、開拓民の上陸地や物資の集散地として拠点化したのである。釧路川河口に市街地の形成された釧路もそのひとつに数えられる。特に釧路川は中流から下流域に広大な低湿地が存在する緩やかな河川勾配に奥地まで遡上出来たのだった。
ここには、釧路郡漁場持だった佐野孫右衛門(4代目喜代作)が1876年に釧路標茶間航路を開設している。自身による硫黄山(アトサヌプリ)から採掘の硫黄搬出が目的であった。馬の背で標茶までを運ばれた硫黄は、そこで五十石船に積込まれ(これが釧網線五十石駅の謂れである)、川幅の広く水量も豊かとなる下流域では百石船に積換えられた。その積換え地点に選択されたのが古くからの先住民の居住地であるトオロコタンが所在した位置であった。そこの釧路川と水路にて繋がる大きな湖を繋船地として積換え施設の置かれたものと思われ、船頭や人夫達も常駐したことだろう。云うまでもなく、現在の塘路に湖は塘路湖である。ここは先住民の意志に関わり無く、1869年には開拓使の命を受けた佐賀藩による支配地として川上郡トーロ村とされ、開拓使根室出張所の管轄となった後の1875年に「塘路」との漢字表記が当てられたのだった。
硫黄採掘事業が内地新興財閥たる安田善次郎の手に渡り、1888年に馬の背に頼っていた標茶までに専用鉄道の建設されると、水運区間も小型蒸気船に置替られ、塘路での積換えも廃されるのだけれど、同年から翌1889年に架けての釧路集治監の囚人達の使役による標茶から釧路への河川の氷結する冬季に対応した陸上輸送路の開通には、途中二ツ山と遠矢と共に駅逓所の開かれるところとなった。1885年には川上郡4ヵ村の戸長役場も置かれて和人の定住も進んでいたのだろうが、塘路の地域拓殖拠点化の嚆矢であろう。やや時代の下るが、1912年度の「植民公報」でのデータでは162人の居住とある。
但し、当時にこの地域への拓殖入植は成立したばかりの北海道庁の思惑に関わらず進展を見せたとは云い難く、1892年の香川県から塘路への「貫誠社」11戸、1897年の山梨県から磯分内への山梨団体17戸の集団入植がどちらも1年足らずで離散するなど、冷涼な気候に定着を阻まれていたのである。塘路の162人の大半は役人を除けば林業や塘路湖での水産関係従事者とその家族だったと思われる。

一方、1910年代には寒冷地作物として馬鈴薯や燕麦の栽培が成功し、1927年の釧網線の開通には1930年代に掛けてようやくに周辺への入植も進展を見せ、道庁による植民軌道が国有鉄道線から奥地の開拓地へと建設され、地域拠点とされた塘路には1930年に久著呂線が、1934年には阿歴内線が接続する。
塘路駅における貨物扱高を1932年度の貨物統計に拾えば、この時代に至っても年間におよそ3千屯の発送貨物の大部分を、木炭に薪の林産加工品に木材・丸太そのものが占めていたものの、僅かながらに農産品も確認され、周辺開拓農家の商品作物の安定出荷に植民軌道から国有鉄道へのネットワークが有効に機能し始めていたと知れる。
以来に塘路は人的往来に物資輸送にと名実共に拠点化し定住人口の増加も招くのだが、それも戦後1950年代までのこと、周辺道路の整備が進む1960年代ともなれば自動車輸送への転換に単に接続点に過ぎなかった拠点機能は失われるしかなく、ここでの貨物扱も1973年2月5日に施行の釧網線東釧路-標茶間の営業近代化により廃止されてしまうのだった。

ここに幾度か降り立つようになるのは、その頃のことであり、商業施設の集積にまで至らなかった市街地はそう呼ぶには些かおこがましく、駅横の鉄道官舎群ばかりの目立っていたと記憶している。
塘路駅下り線ホームに停車しているのは上りの636列車、網走行き。613D<大雪1号>との行違いを待っている。
待合室から外にカメラを向けていると、受託荷物を運びに行っていた駅員が戻りしなに「急行乗るのか?」と声をかけて来た。

[Data] NikonF2A+AiNikkor50mm/F1.8 1/250sec@f8 Y48 Filter Tri-X(ISO320) Edit by PhotoshopLR5 on Mac.

〔お詫び〕本業が極めて多忙となってしまい更新の滞り気味です。3月末頃までのこととご容赦下さい。


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コメント

こんにちは

先月 蒸気機関車に息子たちを乗せる目的で久しぶりに釧網本線の川湯より下の方に行ってまいりました

息子たちの乗るSLを撮ろうと思って最初は五十石 かえしは塘路で待ち・・・でもほとんど撮らないで見送りました まあ撮るのが目的ではなくあくまで息子たちのSL乗車が目的なので写真のほうははなから二の次だったのですが ・・・ご同業ではなくSLから降り立つ乗客、あるいはバスで駆けつけてきた観光客の(ほとんど中国語)あまりの傍若無人さに呆れてしまったのでした
 
いまの塘路駅は建物もログハウスのようにしてあり喫茶店があり 店主にちらっと声をかけましたが「SLの来ない日は全くヒトなんか来ないよ」と不機嫌な言葉がかえってきてそれ以上何も云わずむすっとされました 観光客のマナーの悪さに苦々しく思うけれど観光客が来ないと成り立たないという なんともいえない気持ちを抱えてるのだろうなと 釧網本線の現状を見た思いです 

  • 2015/03/19(木) 00:42:22 |
  • URL |
  • Jam #-
  • [ 編集 ]

Re: タイトルなし

こんにちは。
ご子息の道内旅行記、面白く拝見しております。
実はこれ、やりたい旅なのですよ。延々列車に乗って車窓を眺め続けると云うのは。
貧乏性なので、どうしても降りて歩いて写真を撮ってしまうのですが。

彼の国からの皆様は新宿あたりにも溢れておりまして、朝ラッシュの只中に地下鉄階段の真ん中に大集合して
立ち止まっていたりするのは、たいへん迷惑なのでありますが、
北京に行ってみると、それは当たり前の光景だったりしますし、1960年代に海外旅行の解禁された頃、大挙してパリやらローマに押し寄せた日本人が、
同じように現地の顰蹙を買っていたものでした。どうにも、アジア人てのは共通にしょうもないですね。

帯広や北見などある程度までに行政機能や商業施設の集積の進んだ都市ならば、鉄道輸送の縮小にはバスターミナルなどが鉄道駅の代替を果たして往くのでしょうが、遠軽や名寄規模となれば危ういところです。まして標茶や塘路など釧網線沿線ではどうでしょう。
どんなに閑散線区であれ、駅の存在は街の中心足り得るのですから、それを喪失してはならぬのです。かつての深名線の沿線、幌加内あたりの衰退振りが好例でしょうか。

  • 2015/03/21(土) 14:13:31 |
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