"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

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新札幌 (千歳線) 2009

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千歳新線については、以前に 上野幌-西の里信号場 (千歳線) 1998 から 上野幌-西の里信号場 (千歳線) 1996 まで13回に分けて続けた他、上野幌 (千歳線) 2008上野幌 (千歳線) 1989 で補遺も書いている。
そこに述べたとおり、1960年代前半時点まで国鉄の固めていた新線経路は、単複は別として苗穂から厚別川まで函館本線に併行し、そこから半径1000メートル曲線で右に分岐して現ひばりが丘団地中央部に至り新駅を設置、半径800メートル曲線の左転にて既設の上野幌に取り付く平面線形であった。既設上野幌と北広島間は新線計画とは切り離されて、既設の西の里信号場付近までを別経路とするものの、以遠区間はほぼ既設線への併行線が選ばれていた。これはほぼ現在線の上野幌-北広島間経路と考えて良い。但し、厚別丘陵の頂点となる椴山付近には隧道を設置する計画であった。
これを縦断面線形で見れば、現在の平和付近の施工基面高の14メートル程に対して旧上野幌のそれは42M00であったから、この間の2.8キロ余りには10パーミルの連続勾配が想定されていたものと思われる。依って既設線の月寒付近や上野幌手前に介在した12.5から13.3パーミルを改良するものにはなっていた。
けれど問題はその先であった。既設上野幌からは野津幌川の谷に出ることになり、椴山に向かって施工基面高を維持するならばそこに高さの在る橋梁の架橋を要し、谷に降りるとすれば勾配を10パーミルに抑えたとしても白石から北広島に上野幌と椴山付近の二つのピークを含むことになってしまうのだった。上記の隧道の設置は、おそらくそれの回避に選択されたものと推定している。

札幌市との協議による新線の東側迂回、既設上野幌の放棄と引換えの当時に下野幌と仮称されていた現新札幌の設置は、この縦断面線形の設計上には誠に好都合だったと云えよう。この点は当初計画も同様だろうが、将来の市街地通過に厚別川からの高架橋構築は新札幌で既に29M00の施工基面高を得ることになり、これを維持して野津幌川の谷を遡れば容易に右岸丘陵に取付け、上野幌を移設した地点から連続の10パーミル勾配を以て椴山の最高地点の63Mに至れたから、ピークを一箇所として隧道も省略出来たのだった。
新札幌の乗降場を周囲の道路からの比高10メートルあまりに置いた高高架構造は、高架下駅舎に路面に面した商業施設区画を確保する事由からでもあろうが、これも前記施工基面高確保が本来であったと思われる。

その駅用地は野津幌川左岸丘陵への傾斜の変化する位置に所在して、厚別西通りの標高の15.9メートルに対して厚別中央通りのそれは22.4メートルである。これに対応しては平和付近から斜路を上ってレヴェルの続いた厚別高架橋にも国道12号線跨道橋手前に延長500メートルばかりの10パーミル勾配が加えられている。
それを上って跨道橋に差し掛かるのは8010列車。新札幌の乗降場から望めば、この比高5メートルを上る10パーミルが良いアクセントになってくれた。
画角の再三の既出はお詫びする他無い。背景が空に抜けるここは、そのスクリーンを季節毎、時間毎に楽しめる場所だったのである。

[Data] NikonF5+AT-X300AFPRO300mm/F2.8D 1/250sec@f4+2/3 NON filter Ektachrome Professional E100G [ISO160 / 0.5EV push] Edit by PhotoshopLR5 on Mac.

〔お詫び〕本業が極めて多忙となってしまい更新の滞り気味です。3月末頃までのこととご容赦下さい。

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