"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

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稀府 (室蘭本線) 1999

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太平洋戦争末期の1945年7月14日と15日、北海道内は米国海軍第38任務部隊に属した三個の機動艦隊による集中的な攻撃を受けた。それは道北方面を除く各地域が攻撃対象となり、主には航空戦力の無力化を狙った飛行場の破壊を目的としていたのだが、重要港湾、重工業都市であった室蘭地区は格好の戦略目標とされ、空爆ばかりで無く激しい艦砲射撃にも見舞われた。そして艦載機による攻撃は噴火湾岸を辿って函館へ、後志の山嶺を越えて小樽にも及んだ。
この地域への攻撃を任務としたのは、空母ヨークタウン、シャングリラを主力に軽空母3隻、戦艦5隻、巡洋艦2隻に駆逐艦の31隻からなる第4機動艦隊と記録される。7月14日の攻撃に空母の第一航空戦隊が当初任務としたのは函館、八雲や室蘭、千歳の各飛行場を始め、函館港、室蘭港に停泊中の商船、そして輪西地区の製鉄所の破壊であった。
この内、B掃討作戦第一波としての第88飛行隊戦闘爆撃機分隊のコルセア戦闘爆撃機の14機は、護衛の戦闘機ヘルキャット3機を伴い、午前4時45分に八戸沖、北緯40度45分/東経140度34分に在った空母ヨークタウンより発進、上空で午前5時にシャングリラを発艦した第85飛行隊戦闘爆撃機分隊のコルセア12機と合流して噴火湾岸を目指した。午前6時30分には湾岸上空に達したが、雲底の低く地表には霧を生ずる悪天候に第一目標の飛行場を視認出来ず、雲間から臨機目標としたのが長万部駅と機関区であった。ロケット弾12発の投下と機銃掃射にて扇形庫と機関車を破壊の後に、再度飛行場を捜索するも見つからず室蘭方面に飛行して雲の切れたところが伊達紋別であった。なので、この日は長万部と紋別には誠に不運だったと云わざるを得ない。
紋別市街地では伊達紋別駅を始め、伊達赤十字病院などを攻撃としたコルセアは東に向かい、勢いを駆って稀府駅に停車していた列車に機銃掃射を浴びせたのだった。

この朝、空襲警報発令により一面の朝霧に沈む稀府に運転を抑止されていたのは函館から稚内港への307列車であった。戦局に普通列車に格下げされていたとは云え、かの樺太連絡急行であり、C51牽引の客車10両で組成されていた。当時の機関士の証言によれば、攻撃は午前7時50分頃と云う。米軍の記録には目標上空離脱が7時45分と在るから、まさに帰投中の駄賃的攻撃であったろう。それは10分足らずの間に第88飛行隊の2機のコルセアにより2度に渡り行われ、機関車は前途運行不能となり客車の多くも被弾、乗客の6人と稀府駅職員の1人が犠牲となり(死者15名との記録もある)、27人の重軽傷者を出したのだった。

写真は稀府東方での5列車<北斗星5号>。北黄金川橋梁付近から有珠岳を背景とするこの画角は、もはや定番であろう。
70年前、この空にコルセア機の機影があった。先の機関士には攻撃を受けるまで室蘭八丁平飛行場を離陸した友軍機と思っていたと云う。しかしながら、この朝、当の飛行場は敵機への感知を恐れてか沈黙を続け、反撃機の飛び立つことは無かったのである。

[Data] NikonF5+AiNikkorED300mm/F2.8S 1/250sec@f8+1/3 PLfilter Ektachrome Professional E100SW [ISO160 / 0.5EV push] Edit by PhotoshopLR5 on Mac.

〔お詫び〕本業が極めて多忙となってしまい、3月末頃まで更新の滞ることのあるかと存じます。ご容赦下さい。

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