"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

大沼 (函館本線) 1988

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2往復の定期運転を計画の北海道連絡寝台列車に、不定期運転の1往復がいつに追加されたものかは分からない。道内に向けては青函航路を介して観光目的や修学旅行の団体輸送需要が存在し、夏季観光シーズンなど多客期輸送とも併せては旅客波動への対応は不可欠であるから、早い時期には設定の決められていたものと思う。
そのスジは上下とも約2時間の時隔を置いた定期列車の間を埋めて引かれ、それらと相互に1時間の間隔にて雁行する、発車順から6003・6004の列車番号が振られた季節列車<北斗星3・4号>として実現したのだった。

輸送力列車との位置づけに、全て開放型のB寝台設備の11両(電源車含む)を所定編成として計画され、定期1往復と共に尾久客車区持ちの運用であった。1988年3月改正での<あけぼの>系統 1往復の廃止による青森運転所持ちの<日本海>運用の24系24形への置替には、<ゆうづる>2往復の廃止と併せての同所からの24系25形の捻出は札幌運転所転出分を除外して52両(南秋田運転区で番台を差替えた電源荷物車を含む)が確保されており、それは2往復運転の需給には十分過ぎる配置であった。1988年3月改正での[尾21]から[尾24]の運用行路表からは、上記にスシ24を加えた配置55両に対して使用44両/予備11両と読める。

運行は定期列車と共に1988年3月13日の相互発より開始され、春臨期間には海峡線の開業効果と春休み期間の需要に4月6日の上野発、7日の札幌発までの多客臨運転に、5月/6月には修学旅行集約臨として数往復が設定されていたのだが、<北斗星>の爆発的な需要には6月17日の下りを始めに同月中に6往復の多客臨を設定、夏臨期の7月3日の下りからは1989年3月11日改正まで集約臨としての運転も含め、ほぼ毎日に運転されるところとなった。
何よりのトピックスは、輸送力列車に留めおくには往かなくなり、尾久区は勿論のこと札幌所の予備車までも投入して個室寝台車に食堂車を組込んだことであろう。夏休み期間となる1988年7月22日の相互発より4・5号車のオハネ25に替えて、オロハネ25・オロネ25・スシ24を組成した12両の定期列車に遜色無い組成で運行されたのだった。当初には夏季輸送の終了する9月3日相互発までの計画であったが、個室寝台への需要の高く、以降も1989年2月まで断続的に施行され、同年3月改正での所要車を増備しての所定編成化、定期列車格上げの布石となっていた。
尾久区のオロハネ25 500番台と札幌所の同550番台では設備と定員が異なり、スシ24も両区配置車には定員に相違のありマルス登録には注意を要した上に、道内では車両の向きの所定も異なって、増結の操配には趣味的に興味深い点の多々存在した。これについては次回に続けたい。
(この項 落部 (室蘭本線) 1988 に続く)

写真は早朝の小沼湖畔を往く6003列車。牽いているDD51の重連は国鉄制式塗色、従う客車は全てB寝台車である。
実を云えば,ここへは蒸機撮影以来に訪れたのだが、かつての俯瞰位置は成長した樹木に遮られてしまって湖面を望めず、仕方なくかなり低い位置まで降りたものだった。今は、ここが定番位置と化しているようだ。

[Data] NikonF3P+AiNikkor105mm/F1.8S 1/125sec.@f2.8 Non filter Tri-X(ISO320) Edit by PhotoshopLR5 on Mac.

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