"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

網走機関車駐泊所 (石北/釧網本線) 1973

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網走の構内には、初代そして現在の二代目駅にも蒸機運転廃止まで、一貫して収容庫や転車台、給炭台、給水塔など一通りの設備が置かれていた。しかしながら、それが独立した現業機関である機関区(機関庫)本区とされた記録は無いようである。

1912年10月5日の野付牛(現北見)からの網走本線延長開業に際しては、終端駅設備としても矩形機関庫の他、転車台や給炭給水の設備の設けられ、これは駅から独立した野付牛機関庫の網走分庫とされた。分庫ゆえ規模は小さかっただろうが、それを名乗る以上は数両の機関車(おそらく2500形や2700形のC型タンク機)に要員の配属されたものだろう。けれど、これは翌1913年には何故か駅に所属の網走駐泊所に格下げされてしまうのである。現代に当てはめれば機関車の無配置化に要員の引揚げを意味するものの、機関車の整備・運行に多くの人手を要した当時に、その稼働実体はあまり変わらなかったとも思える。けれど、1925年11月10日の網走から斜里までの延長開業に野付牛機関庫斜里分庫が開設されれば、網走駐泊所の機能の多くが移転して、以後には文字通りに駐泊施設として稼働したことだろう。これは1932年12月1日付での網走駅のクルマトマナイへの移転(正しくは呼人-網走間への新駅設置)の後にも浜網走と改称した旧駅構内に存続した。
それは後には新駅構内へと移転するのだが、残念ながらその時期を手元資料の限りには調べ得なかった。「網走歴史の会」が記録、公表している網走とその周辺の年表に拾えば、1949年の駐泊施設に隣接した南二条西一丁目への日本通運倉庫の開設(年表では網走機関庫と表記)との記述から、戦後間もない時期には未だ浜網走構内への所在と知れ、1948年の米軍撮影の空中写真もそれを裏付けている。
1969年10月4日付での浜網走の移転までには違いなく、Web上の先達諸兄の撮影には移設後の駐泊所にて1968年とのキャプションも見られることを勘案すれば、1961年度に施工された網走駅構内の拡張工事に際してではないかと推定している。
当時既に網走市当局は将来の浜網走駅移転の構想を持っており、それの具体化の進展したでは無かったものの、国鉄も網走と浜網走のそれぞれでの構内に分かれて輻輳していた貨車仕訳と組成作業の網走構内への集約を図っての工事であった。以降に浜網走には貨物取扱機能のみが残されたのである。

降雨下、駐泊所東側で仕業を待つC58 408、収容庫2番線にはC58 418が見える(共に当時は釧路機関区配置)。
鉄骨にスレート葺きの収容庫は、やはり1960年代の建築だったであろう。給炭・給水施設はその西側に在り、撮影位置後方に転車台が設備されていた。今はこの位置を網走市の市道(山下通り)が走る。
D51には不似合いだった北海道独自の切詰めデフは、C58には違和感無く収まっていたように思う。多分車長との偶然のバランスだったのだろう。

[Data] NikonF photomicFTN+P-AutoNikkor50mm/F2  1/60sec@f5.6 Y48filter NeopanSSS Edit by PhotoshopLR5 on Mac.

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