"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

上野幌-西ノ里信号場 (千歳線-旧線) 1969

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東京の西側に住んで、仕事場は青山の外れだったし日常の用件も新宿で事足りれば、打ち合わせなどで東銀座あたりまでは出掛けるけれど、その先を知らない。千葉方面へ出向くなら、横浜から横須賀/総武線で直通してしまう。
船橋に居る従兄弟はその逆で、通勤先が虎ノ門なら買物は銀座で済ませ、新宿に渋谷などまずは往かないと云う。ヒトの生活圏などそんなものだろう。
それの遥かに狭い手稲での中学生時代ともなれば尚更で、苗穂を覗きに往くのでも札幌の向こう側の彼方を訪ねる感覚でいたから、その先の札幌市内へ足を伸ばした覚えなぞ数える程しか無い。それでも、内地と往復した際の車窓の記憶から上野幌に、そこで聞き覚えて西ノ里信号場にも降りていた。
上野幌の本屋は如何にも安普請の小屋然と見えたのを覚えている。ここに限らず北広島や車窓に見た各駅も同様で、寧ろ札沼線の新琴似あたりのほうが本線の手稲と比べても遜色無いと感じていたのは、千歳線が私設鉄道からの出自ゆえとは、随分と後になって知ることだった。駅員が丹精込めただろう花壇が印象的だった駅は、改札を出ると石段を伝って苗穂方面ホームに下りる構造で、向かいが沼ノ端方面ホームの相対式と記憶する。その背後には民家の建ち始めた造成地の斜面が続いていたから、構内は浅い切通の中に存在したことになる。
1973年9月の廃駅に公園へと転用されてからは、その地を一度も訪れてはいないのだが、それは切通しを埋めたものか削ったものか、写真の限りには住宅街と一体化して整地されたように見える。

国鉄における高速運転の特急貨物列車は、形式記号番号の10000番台に付番された100km/h運転貨車の開発により1966年10月改正より実現したもので、首都圏-関西-北九州間での輸送実績を背景に1968年10月改正にて隅田川-新札幌(現札幌貨物ターミナル)間の対北海道チャンネルが加えられていた。函館・室蘭線へのDD51形内燃機の投入は<ほっかい>と命名されたこの列車の牽引用途が嚆矢であり、定数70(コンテナ車14両)を[特通貨D4]の速度確保には重連牽引にて計画されていた。
蒸気機関車など身近で見慣れていた眼には、札幌地区まで当時に唯一到達していた新鋭内燃機の方が新鮮で、札幌の向こう側への遠征はこれや80系特急気動車が目当てであった。

写真は上野幌東方(としても正確な位置は失念している。信号場の近くかも知れない)での3050列車<ほっかい>。現在に繋がる北海道連絡の高速貨物列車群の始祖でもある。
なお、コンテナ車のみで組成の急行貨物列車なら1965年10月改正から秋葉原-桑園間(後に隅田川-東札幌間に変更)に運行されており、これは漢字書きで<北海>を名乗っていた。東北本線の盛岡以北を旅客列車並みにC60が重連で牽いたことで、ご記憶の向きもあろうかと思う。
67年度第三次債務車両計画にて新製のコキ/コキフ10000形の145/14両の内、隅田川駅常備とされた一群(東海道線運用からの転用車を含む)はブレーキ装置の耐寒耐雪化のほか車掌室石油ストーブの能力強化がなされ、その出入台側妻面に北海道の地図を象ったシンボルマークを掲げていた。
この北海道へのコキ/コキフ10000形の運転については、以前の記事 七飯-大沼 (函館本線) 1983上野幌-北広島 (千歳線) 1989 でも触れている。

[Data] NikomatFTN+AutoNikkor5cm/F2 1/125sec@f4 Y48filter NeopanSS Edit by PhotoshopCC+LR5 on Mac.

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