"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

弟子屈 (釧網本線) 1980

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北海道旅客鉄道の公表する2014年7月1日現在のデータでは有人駅が111駅とある。
交通新聞社北海道支社発行の「道内時刻表」に「JR北海道のおもな駅」として窓口営業時間と共に掲載されている107駅はマルス・総販システム端末の設置駅、即ちは「みどりの窓口」の開かれている駅なのだが、同社には他にそれの設備されない、鷲別、石狩月形、清水沢の営業フロント駅が存在し、それを加算しているのである。111駅とするのは、駅に直結した大規模休養施設内に窓口を持つトマムを加えているからだろう。それの駅総数453駅に対する25パーセントを意外に多いと見る向きもあろうが、その内45駅は札幌・函館の都市圏に集中して、その他の広大な道内には66駅が散在すれば鉄道の運営には十分とも読め、やはり鉄道の時代の終わったことを思い知らされるばかりである。
さらには、111駅中での直営駅となれば73駅である。発足直後に国鉄精算事業団から追加募集を行った後の1987年6月1日現在の従業員数10450名の内、駅への配属者は24.3パーセントに当る2540名であった。これは5年後の1992年4月1日現在には、8080名中の1640名に激減し、割合も20.9パーセントに低下する。暫定的に経営を引き継いだ地方交通線4線の廃止もあったけれど、この間に駅営業体制と勤務形態の見直しが相当に進んだことが伺える。
発足から四半世紀を経過した2012年4月1日現在においての駅配属者は987名にまで減るものの、全従業員も4724名となって、20.8パーセントには余り変化は無い。それでも日本国有鉄道における全国平均のそれは永らく20パーセント台後半で推移していたから、4人に一人の駅勤務は5人に一人となって鉄道事業における駅の地位は低下したと知れる。(※従業員データは交通年鑑各年版による)

摩周と云われるとカルデラ湖を思い浮かべてしまうが、弟子屈は本屋の改築を機会に1990年11月20日より摩周を名乗っている。確かに摩周湖は全域が弟子屈町に所在し、そこへのアプローチ駅には違いないのだが、古い鉄道屋には違和感が残る。
とまれ、現在には阿寒地域の観光基点のみならず、標茶に在った運転上の機能をも奪って線内の拠点駅である。当然に北海道旅客鉄道に直営され、標茶から川湯温泉までを管理する駅長が配置されている。汎用端末による簡易型CTCでの線内運行管理業務も在るはずなのだが、営業窓口は16時30分には閉じられる。フロント業務とは全くに切り分けられているのだろう。但し、それら人員は統計上に追分や石狩当別のごとく運輸営業所扱いとはされていないようである。

この1980年当時は貨物扱いの廃止が予定されていた頃である。それは1982年秋まで先延ばしされるのだが、この頃でも構内に使用車は疎か停泊車の姿も見えず、既に到着発送とも扱いはごく僅かだったと思われる。とは云え、旅客扱いに線内の中心駅であったには相違なく、線内駅に唯一残った駅弁立売り(駅前の青木商店弁当部による)も、待合室での立食い蕎麦営業も行われていた。深い屋根の堂々とした駅舎を持ち、傾斜を合わせたホーム上屋の規模は幹線駅のそれを思わせたものだった。
上り本線に停まるのは633Dの釧路行き。
この旅客跨線橋からの眺めは現在にもあまり変わらない。駅舎の改築されても左に見えるホーム上屋は維持されている。

[Data] NikonF3+AiNikkor28mm/F2.8S 1/125sec@f11 Nikon Y52filter Tri-X(ISO320) Edit by PhotoshopLR5 on Mac.

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