"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

大沼 (函館本線) 2007

654-13_ES-Edit.jpg

大沼に小沼、そして蓴菜沼がカヤウンペシュヌプリ(駒ケ岳)の噴火にともなう折戸川の塞止め湖とは承知しており、それは1640年の山体崩壊による岩屑雪崩とばかり思い込んでいたのだが、どうにも違うらしい。有史以前、10万年前に活動を開始したとされる駒ケ岳は約4万年前には成層火山に成長し、この後の噴火活動にて複数回の山体崩壊を繰返して、既に古大沼とも云える一面の湖水を形成していたと云うのだ。それを分断した現在の姿も6300年前まで続いた大規模な火山活動の結果らしい。なので、その姿を湖水に映す景観は先史時代から存在していたと云うことになる。

そこにどのような魚類の封じ込められたかは知り得ていないが、食用魚種の棲息しなかったものか、開拓使は1871年から鯉に鮒の移入を行い禁漁期間を設けてまで、それの繁殖を図ったと伝わる。その後、1893年に北海道庁の指導により湖岸の峠下村と軍川村による漁業組合が組織され、美々川源流の千歳湖からチップ(姫鱒)の移入も行われたと記録に在る。けれど、両村間漁業者の縄張り争いに漁獲調整が機能せず、1902年のその七飯村への合併を機に大沼水産組合が設立され資源管理の一元化と強化の為された。現在の大沼漁業協同組合に続くこの体制を背景に成功したのが、1927年の網走湖からの移入を嚆矢とした公魚であった。これを串刺しとしてタレで焼いた「筏焼き」は早くも1929年には商品化され、内地への出荷の行われていた。今に大沼名物と云えば「大沼だんご」を思い浮かべる向きの多いかとも思うが、「筏焼き」を始めとした公魚の加工品も引き続いての名産に違いはない。
近年の漁は毎年10月1日に定置網が解禁となり、11月には地引き網漁も始まって湖面の氷結する12月半ばまで行われているが、資源は年々に減少傾向にある。5月に種苗放流される公魚の成長期にその個体数と餌となるミジンコなど動物プランクトンのバランスが平衡を欠きつつ在るためとされるけれど、それには雪解けの春に湖水へと供給される植物プラントンとの関係も絡んで一筋縄とは往かず、研究の進められていると聞く。
道立さけます・内水面水産試験場のデータによれば、2011年度の漁獲高は25.4トンとある。これは塘路湖や阿寒湖とほぼ同等で、最大漁獲の網走湖の1割程に当る。

晩秋、小沼湖畔のR500曲線を旋回するのは3列車<北斗星3号>。
ここでの線増時に湖水側から東側への増設線の遷移地点だったこのカーブは(→大沼 (函館本線) 1989)、かつてには高度の在る位置から俯瞰出来たのだけれど、1980年代半ばまでには樹木の成長で叶わなくなっていた。数年振りで立てば、当時に無かった湖畔側にも植生の育ち編成が隠されてしまう。開通時から60年代初めまでは入江を渡る湖中の築堤だった区間である。その残滓が背景に湿地として残る。

[Data] NikonF5+AiAFNikkor85mm f1.8D 1/250sec@f8  Fuji SC40M filter Ektachrome Professional E100GX [ISO160/0.5EVpush] Edit by PhotoshopLR5 on Mac.

関連記事

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
http://northernrailways.blog.fc2.com/tb.php/756-2c835997
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

FC2Ad