"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

常紋信号場 (石北本線) 1981

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古い鉄道屋諸兄には特急列車の品格のようにも語られる食堂車だけれど、本来には長時間の運行に不可欠の供食設備であり、特別急行に限ったものでは無い。それが純粋に遠距離間の速達を目的に設定された時代に在っては必然に連結を要したのである。なので、組成を欠いた事例は1970年代に至るまで客車運用には無く、それの現れるのは1958年のモハ20系電車(後に151系)による東海道線<こだま>が最初であった。もっとも東阪間6時間30分運転(当初には6時間50分)には、これとて「ビジネス特急」なるコンセプトにビュフェと称された軽食堂車の組成が在り、1960年の<つばめ><はと>の同系電車化に合わせて食堂車も組み込まれたから、まったくに組成の無い特急の登場は1962年10月1日改正における<おおぞら>への釧路着発編成増強にともなう滝川-旭川間と云うことになる。(日光準急用の157系を充当した<ひびき>の例が1959年より在ることは承知しているが、東海道特急の補完目的の応急的運用としてここでは除外する。同系は当時に冷房装置も搭載していなかった)

地方幹線への特急列車設定を使命としたキハ80系気動車は、編成の分割併合運用を前提としており、現れるべくした運転ではあったものの、食堂車の無い運行時分は僅か50分程であり、しかも常識的な食事時間帯に掛からなかったゆえ旅客サーヴィス上には無視出来たのだが、1964年10月1日改正での増発列車で続いた同様の事例である<みどり>の小倉-大分間は2時間、そして<おおとり>に至っては滝川-網走間の5時間近くに及ぶものとなった。
これは<おおとり>増発にかかわる函館運転所へのキシ80の増備が3両に留まり、それの釧路編成に充当されたゆえだが、本州内には併結列車双方に連結の例の見られた中では冷遇と云って良かった。1968年10月1日改正で増発の函札間4時間半運転の<北斗>を組成編成としておきながらも、この措置は継続し、しかも1970年10月2日改正にて釧路編成が<おおぞら>に立替えられて分離されると10時間あまりの函館-網走間の全区間に供食設備を持たない特急列車となっていた。この全国的にも例を見ない運行は1972年3月15日改正にて解消されるまで続き、石北本線内への特急食堂車運行の視点からなら8年を待たされたことになり、現在に続く石北本線優等列車の「継子扱い」の始まりにも思える。
北海道の特急列車を代表したのは釧路特急の<おおぞら>であり、<おおとり>は常に2番手、3番手のポジションに甘んじていたのである。以前に此処の記事にもしたけれど、札幌駅のホーム使用方にせよ、<おおぞら>が永く「特別」な特急ホームとしての1番線ホームに着発したのに対し、<おおとり>がそこを使用するのは1985年3月改正以降の、既に「普通」のホームと化してからのことであった。

とは云え、石北本線内においては最優等列車である。煙を吐かない列車は端折っていた蒸機の撮影時代でも、これだけにはレンズを向け、後にも機関車牽引列車と並ぶメインの被写体であり続けた。
写真は常紋国境越えの25パーミルを上って往く16D<おおとり>。
手前から5両目(6号車)にキシ80を組成した堂々の10両編成。金華方からの後追いである。
出力不足ゆえの緩慢な走行も優美と見て取るのは、<おおとり>への判官贔屓と云うものだ。

[Data] NikonF3HP+AiNikkor180mm/f2.8S 1/250sec@f8 Y48filter Tri-X(ISO320) Edit by PhotoshopLR5 on Mac.

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