"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

植苗-沼ノ端 (千歳線) 2010

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ウトナイ湖は、ご承知のとおり海跡湖である。約4万年前と云われる支笏火山の大噴火にて形成された火砕流台地に水流が深い浸食谷を刻んだ地形へ、約8000年前の縄文海進期に海水の浸入して溺れ谷となり、やがては海蝕により約7000年前に「古勇払湾」が形成される。ここへは強い沿岸流により砂が堆積して砂丘や砂州へと発達し、約3000年前に始まる海退期には徐々に閉塞の進んで、汽水の「古勇払内湾」から「古勇払湖」を経てウトナイ湖や遠浅沼に丹治沼、弁天沼を内水面に残し、苫小牧川、勇払川、美々川などの谷底平野に後背湿地を生じたのだった。
この海退、閉塞の過程にて安平川以西で太平洋に注ぐ河川の運んだ大量の土砂が、安平川河口を扇の要に砂州・砂堆を列状に形成して往き、陸地となった勇払平野には多くの砂堆列が残された。苫小牧市史によれば、「勇払の市街を基点に一本松附近を中心に9本が、かつては確認され」「最高標高約9m、平均8m程度の高度を持ち、1本の長さは8km、幅 20mぐらい」であると云う。苫小牧市街地や苫小牧新港後背の臨海工業地帯はそれを取り崩して立地したのである。
今には人工的に合流させられ直線で海に注いでいる有珠川(マーパオマナイ)や苫小牧川(マクオマナイ)は、この砂堆に行く手を阻まれ海岸沿いに東流して、ようやくマコマイに河口を持っていた。現在に真小牧の字名の残る真砂町付近である。東流の途中、砂堆列の谷間に幾つかの沼を生じて to-mak-oma-nay(沼のマコマイ)と呼ばれ、苫小牧の地名由来ともなっている。

市史の云う9本の砂堆列の最も内側は沼ノ端市街地付近を東西に伸びていたのだが、より内陸のウトナイ湖近くにも小規模な砂丘列の数本が確認されている。ウトナイ湖はその北側の完新世段丘と呼ばれる、低地との比高1メートル程度の海食による段丘とその南側に形成された砂州(砂丘)に水面の封じ込まれたものである。陸地化の早かった段丘面や砂州間の谷に残った湿地には泥炭の堆積が進み湿原の形成されるに至った。
その南岸の砂丘列は現在にも残り、最新の衛星写真にも明らかな植生の相違に確認出来る。ミズナラの樹林の中で、ここだけはハンノキなのである。1970年代までなら地表の露出していたらしく、空中写真には白色に捉えられていた。そして、千歳線に室蘭本線は、勇払川橋梁の北側でその中央部を貫通している。遠大な年月には風化の進んで平坦化し路盤工事を障害するでは無く、両線とも全くのレヴェル区間である。

写真は、千歳下り線(上り運転線)の勇払川橋梁上での2082列車。強い西日を正面から浴びている。
この札幌貨物ターミナルから苫小牧貨物までの集配列車は、永らく機関車次位が回送コンテナ車で写真には様にならなかったのだが、この年の3月改正でようやくに解消されていた。
ウトナイ湖からの美々川周辺に至る落葉樹の中に巡らされた細道を歩けば、足元は確かに砂地混じりだったことを思い出す。それが7000年から6000年も前からそこにあるとは、どうにもピンと来ない。

[Data] NikonF5+COLOR-HELIAR 75mm/F2.5SL 1/1000sec.@f2.8 C-PL filter Ektachrome Professional E100G [ISO160 / 0.5EV push] Edit by PhotoshopCC & LR5 on Mac.

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