"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

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豊浦 (室蘭本線) 1994

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ここ数年のことである。休日に列車で遠出でもすれば、沿線には多くの撮影者の姿が認められ、普段都内と往来する小田急線からもホームでカメラを構える人々を多々目撃する。
道内に出向いても事情は変わらず、多くの位置で撮影者諸兄に出会うようになった。情報の交換にもご一緒するのは吝かでないのだが、十人を越えるような集団ともなれば、静かに列車を待ちたい身には遠慮したい環境ではある。何より立ち位置の制約されるのには困り果てる。
最近に参入された方には当たり前の光景かも知れぬが、50年近くを撮って来た古い鉄道屋には、それは70年代前半の所謂蒸機ブームを遥かに超える異常事態と見える。その狂熱の去って尚且つ、鉄道を撮りに来たと地元の人に話せば珍しがられ、現場でご同好に出会うなど滅多に無かったのが、つい最近までの撮影であった。もっとも、それは移動の列車の混合うと云う事由からなのだが、学生の夏休み期間や黄金週間等連休を意識的に避けていたからかも知れない。本州連絡の特急寝台列車群にしても1988年の設定以来に撮り続けているけれど、同位置に並んでの撮影など終ぞ記憶に無いことだった。

ディジタルカメラの急激な普及に性能向上と鉄道輸送の衰退からそれが懐古的に捉えられ始めた時期とが重なり、Web上での個人レヴェルの情報発信の容易化も加わって後押しをしているゆえであろうが、それでも鉄道趣味の裾野の広がりは歓迎すべきだろう。
反面、何年も前から指摘されているとおりに、裾野の広がるにつれて山の低く、森の浅くなれば、当然に悪貨も含まれるところとなって、時折にマスコミを喜ばせる事態を生じている訳である。
この世界の先達各位には鉄道趣味は大人の趣味と教えられて来た。集団での罵声の応酬は当然に場所取りの捨て三脚なども恥ずべき行為であり、永年の写真の鉄道屋としては趣味者の幼稚化を嘆かせて頂いて良いと思う。

このブログは駅名や線名を多く記しているせいか、撮影地を探すWeb検索に良くヒットしているように見える。他の同好諸兄のSiteも事情同様と思われるが、書き入れられたその検索語句からは多くは最近の参入者と推察され、同じ位置に多数の集中する所以であろうか。そこにお手軽に自動車で乗り付けてお仕舞いとするなら、「写真」はそれから始まるとは馬の耳に念仏だろう。しばらく前のことだが、Webに高名撮影地に立てたことに満足しているとの記述を見つけ、絶句したものだった。まあ、そんな巡礼も鉄道趣味の裾野と理解する他無い。
ただ、希望も在る。鉄道趣味には素人ながら写真そのものに素養ある参入者も迎えていることで、折々に閃きの画角を見せてくれる。鉄道を単なる風景に捉えることは、古くからの鉄道屋には最早出来ない芸当なのでインスパイアされるところ多である。

写真は貫気別川橋梁下り方のR=604曲線を旋回して往く5列車<北斗星5号>。
35ミリには禁物のトリミングを避けるべく、この立ち位置を確定するまで実列車で5回のテスト撮影を要した。編成の2両短い8001列車には、また別の位置があった。ここも築堤法面の樹木が成長してしまい、残念ながらリピート出来ない。
もっとも、今ここに立てば、必ず一人や二人はおいでの背後の俯瞰位置から反向曲線を遠望するご同好の画角に入り込んでしまうだろう。

[Data] NikonF4s+AFNikkor180mm/F2.8ED 1/250sec@f4 Non filter Tri-X(ISO320) Edit by PhotoshopLR5 on Mac.

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コメント

画一の安心感

そのキャリアにおいて到底及ばない若輩者ながら、一応1980年代から撮り続けている者として、
昨今の線路際カメラ事情は何度も頷けるところです。

生息密度が高くなり過ぎればやがて共食いも発生し、個体が減少するのも自然界の習いではありますが、
どんどん新規参入者が増えている感もあれば、状況はあまり変わりそうにありませんね。

せっかくいいカメラという道具を手にしているのだから、オリジナリティを創る楽しさにもう少し目覚めてくれれば適度にバラけると思うのですが、
「画一の安心感」が好きですよねえ。老いも若きも。そんなところが日本的なんでしょうか。

鉄道を撮ること自体の説明が必要だった時代が懐かしいです。

  • 2014/11/15(土) 10:09:00 |
  • URL |
  • 風太郎 #ORZvdv76
  • [ 編集 ]

Re: 画一の安心感

対象が鉄道であれ何で在れ、まずは「写真」在りきと考える次第です。
確かに、写真の本質は「記録」に違いありませんが、それでも揃いも揃って同じ位置から同じ画角を切る必要は無いでしょう。
さらに原点である「私的記録」に立ち還れは尚更のこと。例え、同一位置からとしても差別化を考えぬのが私には不思議でなりませぬ。
既に始まっていたのですが、函館/室蘭線の沿線は来春、そして2016年度末に向けて騒乱に巻き込まれて往くのでしょう。暫くはそれを避けて渡道する他なさそうです。



  • 2014/11/15(土) 13:12:13 |
  • URL |
  • Wonder+Graphics #-
  • [ 編集 ]

こんにちは

私は自分の棲んでる小さな世界からしか撮影できない状況が多々あるんですが その小さな世界には無限に広がるものがある故に写真を撮ることが好きになりました 
いくらにでも想像の余地があるその深呼吸のひとときが自分を保つので それができなくなったときにはたぶんカメラから離れるときだろうな と
 
・・・私は素人ですから詳しいことはわからないんですが 昨年石北貨物DD51の終焉の時に我がムラをすごいスピードで列車を追って走りぬけてゆくレンタカーを何台も何台も見るたびに 息苦しくなった時のことを思い出しました 

  • 2014/11/17(月) 08:50:55 |
  • URL |
  • Jam #-
  • [ 編集 ]

Re: タイトルなし

こんばんは、Jamさん。
写真の本質はそこでしょうね。極私的記録。それで正しいと思います。
かつて頼み込んで弟子入りさせてもらった師匠が良く良くに言っていたものです。
「俺のマネをしろ」「但し、同じ写真は撮るな」


  • 2014/11/17(月) 23:52:22 |
  • URL |
  • Wonder+Graphics #-
  • [ 編集 ]

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