"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

猿払 (天北線) 1986

sarufutsu_04-Edit.jpg

天北トンネルで頓別川の谷に出てから、頓別原野に猿払原野を北進して宗谷丘陵に分け入るまでの天北線の車窓には延々と牧草地が続いた。それは同じ酪農地帯としても、緩やかな起伏のそれに落葉松林や広葉樹の樹林帯の交互に現れた標津線とは異なり、車窓の視座からでは原野や海岸湿原とは見分けのつかないくらいにどこまでも平たく広がっていた。けれど、どこか茫漠としているに違いは無く、ここでも通過する駅名を読んでいないと自分の位置を見失った。

農林水産省の2007年度データによれば宗谷郡猿払村の耕作地面積は5670haとあり、その内の5640haが牧草の栽培地である。そして、69戸の酪農農家が7630頭の乳牛を飼養している。村の農業生産額322千万円は、肉用牛を飼育する3戸と合わせ、全てが畜産業により産み出されている。
残る30haの耕地には穀類(麦であろうか)に、大根・白菜などの野菜の栽培されるらしいが、統計に数字として現れて来ない。これら現況は浜頓別町に中頓別町も同様であり前述の車窓を裏付ける。けれど、それは戦後の、強いて云えば近年に出現した景観である。

1924年の猿払村の成立からの戦前期において村域の広大な山林・原野は、内地新興財閥系の王子造林や三井造林に所有される原木の供給源であった。そこには同系の農場も開かれ小作農が入植していたものの、原木伐採の地積獲得目的の実態には定着を見ること無く、僅かな民有林で1920年代に開墾入植の記録もあるが、冷涼な気候に加えての掠奪農法には数年で離農を余儀なくされていた。この時代の猿払は天然帆立貝の漁獲に沸いた漁業が中心産業であり、かつての宗谷本線(後に天北線)の車窓にはハンノキの灌木が散在する泥炭の原野が果てしなく続いていたのである。
これを含む猿払原野での本格的農地開発は、戦後の「緊急開拓事業実施要領」(1945年11月9日閣議決定)に基づく開拓入植以降のことになる。しかしながら、その初期政策が基盤整備を伴わず、単にアジア太平洋戦争の敗戦にともなう引揚者や農家の次男・三男の収容目的でしかなかったため、特に泥炭地の排水不良による畑作の低生産性に冷涼な気候、過酷な自然環境から、その入植者たちの生活は辛酸を極め、多くの離農者を生んだ。その様相は不振開拓地として社会問題化するのだが、批判が拓殖政策の不備に向かわず、ここを「農業不毛の地」として北海道開発政策そのものを不要とする論調を巻き起こすに至って、1963年に北海道は「猿払村開拓地特別新興対策実施方針」を策定して国に対して強く支援を迫り、農林省は1967年度を初年度とした三カ年計画の「第一次農業構造改善事業」を打ち出して応じたのである。それは、この地での持続的営農形態として酪農への専業化を掲げていた。
猿払原野への乳牛の導入は1932年に既に記録のあるけれど、あくまで半自給的畑作営農の一部とされ飼養頭数も1頭からせいぜい数頭に留まり、これは戦後入植者にも引継がれていた。これに対して、上記事業では、未利用地の機械開墾に離農農地の再配分による農地拡大や牧草地転換、電力に用水確保の営農基盤整備に、農家へ牛舎やサイロ、搾乳設備などの建設に積極的な融資・補助を実施して酪農専業営農への誘導がなされ、現況への発展の基礎となった。この際に泥炭低湿地の大規模な排水が未墾地開発事業として行われ、天北線の車窓は1970年までには一面の牧草地へと姿を変えたのであった。

遍く夏風吹き抜ける牧草の海を渡って往くのは、304列車<天北>。
写真の頃、猿払村がこの豊かさを手にして、たかだか10年あまりに過ぎなかった。
いつも撮影位置にさせていただいていた牧場の主に伺えば、秋田県よりここの東山農場の小作農として入植した祖父が、その後樺太開拓団に加わるも敗戦にて引揚げとなり、1949年に舞戻って開拓入植したものと云う。ご苦労なさったはずだが、80を越えていた当の爺様は訪ねる度に「また来たのか」と笑っていたものだった。

[Data] NikonF3P+AiNikkor105mm/F1.8S 1/250sec@f8 Fuji SC52 filter Tri-X(ISO320) Edit by PhotoshopLR5 on Mac.

関連記事

コメント

こんにちは

今年の春猿払から我がムラに引っ越してきた一家、農家さんではなく郵便局にお勤めなので異動なのですが
子どもの数が白滝の小学校の2倍 保育所の人数は3倍なのだとその一家のおかあさんから聞きました 引っ越してきて驚いたと
樺太に出向き樺太から戻りした入植者も我がムラには多数いて 似たようなところがあるんだな、と記事を読みましたが 
車窓の向こうにあるだろう子どもの姿が見えているかどうかと言われれば 猿払は我がムラより豊かだろうなと思います 

  • 2014/12/10(水) 08:24:41 |
  • URL |
  • Jam #-
  • [ 編集 ]

Re: タイトルなし

こんばんは。

奥白滝も勿論、旧白滝あたりでも「緊急開拓事業要領」による入植が在ったようですね。
記事にも書きましたが、この施策はかなり杜撰であり、辛酸を舐めさせられた入植者もまた多かったと云われます。
このクニと来たら、近世以来にお百姓を大切にしたことがありません。
特に近代に至っての為政者は、農村・山村を経済成長とやらの草刈り場として、そこの百姓をいじめ抜いてきました。
またぞろ、TPPへの参加でそれを壊滅に追いやらんとする政権が、一方で地方再生などとは余りに見え透いて、
あきれ果てます。


  • 2014/12/10(水) 23:50:01 |
  • URL |
  • Wonder+Graphics #-
  • [ 編集 ]

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
http://northernrailways.blog.fc2.com/tb.php/738-8621e885
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

FC2Ad

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。