"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

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洞爺 (室蘭本線) 1992

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洞爺を発車した上り列車は、場内を出ると虻田発電所を右手に、その排水路を洞爺川橋梁で渡り洞爺トンネルをくぐり抜け、虻田漁港大磯分区を車窓に進めば、山側に下り線新クリヤトンネル出口抗口、海側に旧線の黒岩トンネルの遺構を見て自身は(新)黒岩トンネルへと進入する。この僅か1.5キロばかりの区間の沿革は趣味的に興味深い。

1928年9月10日の長輪線としての開通当時に洞爺トンネルは存在せず、線路は断崖の下を海側に迂回していた。ちなみに、1939年10月の虻田発電所の運転開始には洞爺川も細い流れに過ぎない。線路はそのまま大磯の海岸線をトレイスするように黒岩隧道へと続いた。
一方、1800年代初頭に開削の人馬交通路を1894年に改修した道路に端を発する国道37号線は、洞爺駅前から線路の海側を進み、大磯浜の踏切で山側に遷移するとしばし線路に併走した後に、幌内川の深い谷の上流迂回に斜面を急坂で登っていた。
豊浦-洞爺間の線増についてはWebSiteの記事に詳述しているのでご参照願いたいのだが、それに際して落石への防災対策と曲線改良を兼ねて複線断面にて掘削されたのが洞爺トンネルであり、1968年9月28日に既設線山側に設けられた増設線路の単線にて使用開始とされた。そして、その新線線路は新クリヤトンネル出口から洞爺トンネル入口までの一部区間で山側に並行していた国道の道路敷を路盤に転用したのである。
静狩から洞爺に至る国道の抜本的改良工事の最後として、ここへの洞爺跨線橋を含む新道の開通にともなう1966年の旧経路廃止を待っての工事であった。国鉄側には新クリヤトンネル出口抗口位置を幌内川とした時点で、それは既定方針であったことだろう。このような、国鉄札幌工事事務所と北海道開発局の函館・札幌両開発建設部との連携は線路路盤の道路転用を含めて、線増工事が国道の改良と同時期に進められた函館/室蘭本線には事例が多い。→桂川-石谷 (函館本線) 1994 →桂川信号場-石谷 (函館本線) 1977
旧国道の鉄道転用終端から先、斜面を上っていた部分も工事用通路として利用された後に法面へと改修されて痕跡は無い。けれど、1990年代半ばまではその経路が電線路に利用され辛うじて位置だけは知ることが出来た。
なお、取り残された大磯踏切の東側区間は永らく線路沿いに行き止まりの町道として残されていたが、最近には新たに構築の虻田漁港大磯分区への接続路に再利用されている。

強い西日に大磯の浜を黒岩トンネルに向かうのは5010D<北斗10号>。後追いである。
虻田市街地に隣接するのだけれど、あまり人の近づくことの無かったこの浜には多くのウミネコが羽根を休めていたものだった。今は漁港築造で失われた地点である。

[Data] NikonF3P+AiAFNikkor ED180mm/F2.8 1/250sec@f11 FujiSC52filter Tri-X(ISO320) Edit by PhotoshopLR5 on Mac.

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