"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

長万部 (函館/室蘭本線) 1982

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機関区に貨車検修区、貨物扱い関連施設の撤去された長万部の構内は随分と小さくなった。不夜城のごとくにそれを照らし出していた、北部に二基、南部に一基の構内照明塔も消灯され、闇に沈み込む姿は前にもここへ書いている。けれど、列車運転に常用される本線の構内配線とその規模は、1965年の中丿沢方、1969年の旭浜(静狩)方の線増以来の構内配線が分岐器・出発信号機建植位置もそのままに、本屋側の1番線から7番線までに維持されているのである。函館山線の衰退に貨物列車削減など輸送環境は激変したものの、当時にも現在にも必要且つ十分な設備であり、完成された配線と云うべきなのだろう。
唯一の改良は第一乗降場2番ホームに接する3番線の有効長を、2番線との渡り線を使用停止として320mから535mへ延伸したのみである。施行期日は明らかに出来なかったが、貨物入換のなくなった以降に中丿沢方線増時に場内信号機直近に設けた両渡線へ代替してのことと推定する。
各線路の使用方は変遷したものの室蘭線列車の運転上からの現状では、2番線を上り本線、3番線を下り本線とし、1番線が上り副本線、4番線が上下副本線、5番から7番線が下り副本線である。函館線倶知安方面との運転列車なら5番・6番線がそれぞれ上・下本線となる。なお、1番と2番線を除き中丿沢・二股・静狩の各方向と進入進出の可能な配線に信号設備となっている。

対して、大きく変貌したのが旅客営業施設である。北海道旅客鉄道発足直前の1987年1月に駅本屋が改築されている。建替では無く、山線に通った諸兄にはお馴染みの木造本屋を存置しての大幅な「改築」は、関連事業施設の併設のためであった。
駅業務の縮小に持て余していた、かつての駅長事務室(駅務室)部分に待合室を移設、出札窓口兼みどりの窓口と旅行センターの営業フロントのみが待合室内に再配置され、そこへの出入口(正面玄関)も従来の三角屋根の正面出入口の右側に隣接して、それに合わせたやはり三角屋根の新たな出入口を設け、従来口は旧集札口位置への増築分と合わせた面積の商業施設への出入口に転用されたのである。その分だけ本屋規模は大きくなったのだが、広かった待合室をかなり縮小する設計であった。板張りの外壁をパネルに置替えただけだった外装も、この機会に一新されたものの厚化粧の感は否めなかった。
入居した商業施設は、子会社の「ジェイアールはこだて開発」が営業した食品スーパー「アーク」で、長万部に因んで「あいりす店」を名乗っていた。云うまでも無く、旧青函船舶鉄道管理局管内における国鉄共済組合の事業を承継した企業体であり、店舗は同組合物資部長万部配給所の後身ということになる。系列店舗は森店として森駅本屋にも入居していた。
これに先駆けての1979年3月20日使用開始にて旅客跨線橋の架替も行われ、従来の木造跨線橋の函館方に現橋を新設の上で旧橋を撤去したものである。また、第一乗降場のかつては札幌方端部近くまで伸びていた上屋の先端側が撤去されているが、これの施工時期は全くにわからない。

低い斜光線に長万部6番線(4番線ホーム)から室蘭本線に進出するのは247列車、室蘭行き。
<ニセコ>に14系の投入された後とあって、編成中には転用のスハ45も見られる反面、スハ32は姿を消していた。
第一乗降場の260m、そしてこの第二乗降場の270mのホーム有効長も、知り得る限りの1960年代末より変わっていない。かつてに最大13両組成を数えた函館山線経由の<まりも>や<大雪>などの優等列車着発に対応した第二乗降場は、今や2両編成程度の気動車着発には無用の長物と化しているが、90年代の一時期に寝台特急<エルム>の<北斗>に対する長万部退避は、この設備の在ってこそだった。
なお、画角に写る1番から9番までの線路が今も全て健在である。8・9番線はこの当時から留置線に用いられ、今も気動車が滞泊する。但し画角右にも同程度の構内を有していたのが、この頃の長万部である。

[Data] NikonF3P+AiNikkor105mm/F1.8S 1/250sec@f5.6 Fuji SC56filter Tri-X(ISO320) Edit by PhotoshopLR5 on Mac.

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