"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

張碓-銭函 (函館本線) 1977

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最近の認識には「宣伝カー」と云うと、ヴァンボディ全体に広告を描き大音量の騒音をタレ流しつつ、新宿やら渋谷の街を巡回運転しているトラックとなるらしい。けれど、一昔前ならそれは後部にオープンデッキを備えたマイクロから大型までのバス車体を指していた。国内におけるルーツは戦前にまで遡れるらしいが、全盛期は戦後1950年代から60年代となろうか。本来のバス用シャシに意匠を凝らした特注車体を載せたものだった。
商品やその見本なりレプリカを積込み、装備のスピーカからコマーシャルソングを流しつつ全国の街々を巡回し、街角や広場に停車して宣伝イヴェントを行っていた。オープンデッキは即席のステージ替わりであった。その名の通りのカバを象ったカバヤ、商品パッケイジそのままの塗色だった明治キャラメル、テレビの積込まれて移動街頭テレビとも云えたナショナルの宣伝カーなどをご記憶の向きも多かろうと思う。高価な特殊装架車だけに一つの企業が同型の多数を保有していたとは思えないのだが、それは札幌の街角にもやって来たから、フェリィの一般的でない当時には貨物船で航送したものだろうか。
テレビの普及と共に、そのマスプロモウションの役目を譲って衰退した宣伝カーだけれど、今でも選挙運動の際などに登場して、まだ在ったのかとの驚きと共に懐かしく眺めもしている。

実は60年代の日本国有鉄道もこれを保有していたのである。サテライトカーと呼ばれ、1965年に開設の始まった「みどりの窓口」に倣って「みどり号」と命名されていたそれの道内導入、北海道支社札幌鉄道管理局への配属は1967年7月22日のことであった。国鉄の広報車であるから、さすがに奇抜な車体形状や派手な装飾のなされるで無く、通常のマイクロバスの車体をオープンデッキ構造に改造したものであり、愛称通りに白地と緑のラインに塗り分けられていた。
車体側面には移動販売用の出札窓口の2箇所が設けられ、車内には2人掛けと6人掛けソファの二組にスライド映写設備が装備され、オープンリール式のテープレコーダと拡声装置も持っていた。
運用担当とされた札幌局旅客課では、早速にこれを朝に札幌駅前広場に停めて海水浴場への切符販売の特設窓口とし、午後には銭函海水浴場近くに移動して帰路の切符を売り、拡販と銭函駅の混雑をも回避したと記録に在る。また、官庁街や企業工場、自衛隊駐屯地、或は団地等に出向き、車内設備を利用して旅行相談や旅行商品の説明・販売を行った他、貨物課にも貸し出されて荷主所在地でのコンテナ利用促進キャンペーン等にも使われて札幌局の増収に寄与した。おそらくは道内他局にも貸し出されたものと思う。
目的外には、沿線通信網へ接続可能な通信設備を持ち(当時には有線通信)、災害事故や異常時などでの現地対策本部としての機能も考慮されていた。「みどり号」の写真は、道新のフォトデイタベイスに在る。

写真は銭函の沿岸を走る711系電車は、872M列車小樽行きである。
夏場のカットを撮っておらず、波浪の光景をご容赦いただきたい。ここが海水浴場とされていた1980年代半ばまで、写真背後の狭い石の海岸は立錐の余地の無い程に海水浴客を集めて、それを「込み」で撮ろうなどとは思わなかったのである。自動車で到達出来ないこの位置へは多くが鉄道利用だったろうから、銭函での「みどり号」による特設窓口は的を得ていたのである。

[Data] NikonF2A+AiNikkor50mm/F2 1/250sec.@f4 Non filter Tri-X(ISO320) Edit by PhotoshopLR5 on Mac.

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