"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

銭函 (函館本線) 1979

zenibako_11-Edit.jpg

少しばかり言い過ぎだろうが、銭函の海岸には「仕方なく」立っていたのもしばしばだった。
宿代の節約に道東・道北とを夜行急行を宿替わりに往き来した旅で、必然的に一日おきに巡って来る札幌行きへの乗車では、途中深川、滝川や岩見沢に降り立つ手は幾らでも在ったのだけれど、旅程の積んでくると体力的に未明の下車の辛くなり、ついつい終着まで乗り通していた。なので、その日の行き先は室蘭線や山線方面としてコンテを選択しても、太平洋岸の濃霧だったり、後志の吹雪予報には銭函を代替地としていたのである。確かにそれには悪天のカットが多く、天候がそぐわなければ近場でやり過ごす腹だった訳だ。

国鉄バスの西春香バス停から至近だった民家地先の畑作地からの恵比寿岩俯瞰は勿論、そこまで急坂を降りて行って張碓から銭函へと波打ち際を歩いたり、銭函近く浜番屋や漁師小屋を何とか絵にしようとしていた時期もあるものの、あまり満足の往くカットは撮れなかったと覚えている。
1994年3月の改正で機関車列車が朝の1往復のみとなって以来には、全くに足の遠のいてしまっている区間だが、ロングシートの電車で小樽までを往復して見れば、朝里を中心とした沿線や国道沿いに住宅の増えた現在の方が足場の確保は容易に感じた。いかんせん、やって来るのがその都市向け電車列車ばかりには写欲の湧かない。

銭函近くの石の海岸をゆっくりと走り抜けるのは、121列車の旭川行き。
函館運転所の普通列車運用がスハ32を主体としていた時代である。蒸機に牽かれるならよいけれど、電機にはどうにも不釣り合いと感じたものだった。
石の汀線には、いつに築造されたものか、木杭を打ち込み石を積んだだけの原初的消波工が点在していた。それの続いた位置の護岸に近年の改修は見られなかったから、有効に機能していたのだろう。
この区間は風雪に抑止の取られることは在っても浪害はあまり聞かない。急激に深度を増す海底地形や石の海岸には波浪も勢力を殺がれるのだろうか。不粋な消波ブロックの山積みとされないのは幸だった。それは今でも変わらない。

[Data] NikonF2A+AiNikkor28mm/F2.8 1/500sec@f5.6 Y48filter Tri-X(ISO320) Edit by PhotoshopLR5 on Mac.

関連記事

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
http://northernrailways.blog.fc2.com/tb.php/713-9faa608e
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

FC2Ad

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。