"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

門静 (根室本線) 1981

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撮影に出ると、例えそれが周遊乗車券の二週間から三週間は在った有効期間を目一杯に使う行程だったにせよ、ただひたすらに鉄道を撮っていた。本業との兼ね合いから短期間の渡道を繰返すようになれば尚更で、あれだけ渡道を重ねて置きながら観光地を知らない。様似までは乗っても襟裳岬には行ったことが無く、川湯に何度降りても屈斜路湖も摩周湖も見たことは無い。最も鉄道線路から離れたのは、宿泊に二股のラジウム温泉を選んだ時くらいだろうか。
撮影自体も「鉄道」と一口に云っても、正確には列車の在る鉄道光景ばかりであり、ついでの風景や旅のカットなどは当然に、鉄道情景のスナップすら満足に撮っていない。当時には、道内なら札幌でしか手に入らなかったTri-Xのコマを節約せねばならない事情もあったとは云え、今に思えば些か惜しいことをしたものだ。駅本屋(駅舎)も同様で、当初には余程に特徴的だとか、光線の陰影が良いなどの条件が無ければ撮らなかった。必ず記録を残すようになったのは無人駅の増え始めて、訪問の証の入場券が手に入らなくなって以降のことだった。

幾度か降りていた門静は道内のルーラル駅らしからぬ造りに記録していたものと思う。調べてみればそのはずで、これは戦後まもない1947年の建築であった。そのような時期に改築を要した事由は調べ得ないが、公共企業体日本国有鉄道の発足前であり、設計に施工は運輸省鉄道総局の管理下ということになる。
北海道型とも呼ばれた重厚な駅舎建築とは決別して、戦前期のモダニズムの余韻をも感じさせるのは、互い違いに設計された屋根だろうか。線路側に傾斜する屋根が一段高く掛けられ、その段差間の白い漆喰が板張り外壁とコントラストを見せるファサードの、写真では木板で塞がれてしまっているけれど、そこに通風窓を設けたところも洒落ていた。高さ方向の開口を大きく取った窓も特徴的で、上下二段に分けられたそれの上部は、当初には桟の無い一枚硝子が用いられたと思われる。これも残念ながら上部の塞がれてしまうが、竣工時にはモダンな佇まいだったことだろう。戦時下の抑制を解放したかのようなデザインは札幌鉄道局ではなく、やはり本局でのそれに思える。
砕石搬出の専用線の接続して詰める職員も多かったものか、駅務室の広く取られて堂々とした本屋だった。
これは2003年には失われてしまうのだが、1950年の厚岸を挟んでその先の糸魚沢の改築に際しては、間口を縮小しただけの同設計が流用され、こちらは現存している。但し、そのファサードの屋根の窓は採光窓だろう。
なお、写真では駅務室に休憩室窓がアルミサッシに更新されて見えるけれど、これは保温目的で窓を二重化した外窓であり、内側には本来の木製窓が健在であった。

[Data] NikonF3HP+AiNikkor50mm/f1.4S 1/125sec@f8 Y52filter Tri-X(ISO320) Edit by PhotoshopLR5 on Mac.

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