"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

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北舟岡 (室蘭本線) 1995

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北海道における鶏卵生産量は、ここ20年ばかり10万5千トン前後にて推移している。道外への移出や内地からの移入は僅かで、ほぼ半々とされる家計消費に業務・加工消費ともに全量の道内消費は地産地消である。本来に鶏卵は破損等の問題から長距離輸送に不向きとされ、生産地周辺での流通・消費が基本であったから、図らずもそれの実現されていることになる。生産の中心は石狩、胆振、十勝地域である。
けれど、それはホクレンによる「北海道養鶏団地事業」などの推進により、雌成鶏の飼養羽数が全道で600万羽を達成する1980年代後半以降のことで、養鶏農家一戸あたりの飼養羽数が数百羽程度に留まる小規模経営が大半であった1970年代までは、需要のおよそ3分の一を移入に頼っていたのである。そして、その多くは鉄道により輸送されていた。

近代以降の社会構造の変化により、それの長距離輸送が必要となった頃、使われていた輸送容器は竹籠であった。当時に鶏舎での人手による採卵作業に使われたのは竹で編んだ籠や笊だったから、おそらくはそれからの発想なのだろうが、籾殻を詰めた中に卵を埋めたところで強度的には耐えるものではなかった。まもなく、それは木箱に取って代わられる。
これで有蓋貨車一杯に天井まで積み重ねられたにせよ、緩衝材としての籾殻の詰められるに違いは無く、輸送効率の悪いことは変わらなかった。箱詰も取出しも全てに人手を要し、それは恐ろしくコストの掛かる輸送だった。内地から転居し1960年代を暮らした札幌で、卵が高いと母が嘆くのを聞いた覚えが在る。鶏卵が籾殻とともに箱に詰められ青函を渡っていたのは、その頃のことである。
余談ながら、総合スーパー(GMS)もコンヴィニエンスストアの姿も形も無く、食品スーパーマーケットがせいぜいの当時、商店街には鶏卵屋が店を開き、そこには籾殻に埋まったままで卵の陳列されていたものだった。

道内の自給が達成されると共に経営の大規模化も進展し、採卵養鶏を営むのは1981年度の5940戸に対して2013年度末には僅か73戸、それの多くは最早農家経営ではなく会社形態の事業体である。しかも、上位10社で総量の90パーセントを生産する寡占化が進んだ。
1973年に札幌手稲に創業した株式会社トーチクも、65万羽を飼養し年間におよそ1万トンを生産する大手採卵業者である。千歳や岩内を始め、伊達市内に5箇所の大規模養鶏場を擁して、その大きな施設は室蘭本線の車窓にも目立つ。

白波の立つ噴火湾を背景に進むのは5007D<スーパー北斗7号>。冬の走りの悪天である。
この定番の立ち位置は、余り選択肢のない画角に列車の編成長が微妙なところの在り、それは7両程度の気動車特急の収まりが一番良い。だれが撮っても同じゆえ、せめてこの季節を選んだ。
伊達市北稀府町の道道779号南黄金長和線沿いにはトーチクの伊達第四農場の延長100メートル程にも及ぶ鶏舎が所在して、この立ち位置への横道の良い目印なってくれる。

[Data] NikonF4s+AiNikkor105mm/F1.8S 1/500sec@f4+2/3 NONfilter Ektachrome Professional E100S [ISO160/0.5EVpush] Edit by PhotoshopCC on Mac.

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