"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

抜海-南稚内 (宗谷本線) 1971

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宗谷本線の旭川起点251キロ地点は、かつてには南稚内に列車を降りて線路伝いに延々と歩いて到達する位置だった。坂の下まで宗谷バスを利用し、比高40メートルばかりの斜面下まで歩いて、そこに取付けられた保線用タラップを昇る手もあったけれど、バスの南稚内から日に2本だけの運行には使い様もなかったのである(稚内からノシャップ経由なら9往復があったが50分程を要した)。
けれど、最近の鉄道撮影ブームとやらではタラップ下に自動車で乗り付けるのが大半であろう。その手のお手軽撮影者は斜面にクマザサをかきわけてポイントを採るのを嫌って線路端で済ませる事例の多いものか、この地点には「立入り禁止」の札の建植されてしまっているらしい。それ自体は田畑の畦が線路を横切る位置に呪文のように建てられていた「線路内横断禁止」と同じく、鉄道側の免罪符に過ぎないものの、ここで線路端に立たれてしまうと背丈程のクマザサと格闘する写真屋の画角に入り込み、その苦労が無に帰すのも事実である。

この施工基面高42メートルの位置からの景観は、海上遥か利尻の島影をさて置いても雄大な眺めとして良い。眼下に見通す北の西浜から南の抜海に至るまで10キロあまりの海は、坂の下湾と呼ばれるらしいのだが、その緩やかな海岸線には呼称はあるのだろうか。
そこは環境省の公開している2万5千分の一植生図によれば、立ち位置一帯を覆うクマザサ群落は道道までの急斜面に尽きて、それに沿うようなミズナラ群落、その外側の低層湿原にヨシ原が続いて、海岸の砂丘地はハマナス群落とある。2006年の調査に基づくと云うが、この当時は云うに及ばす、太古から何一つ変わってはいないだろう。
それは1970年以来幾度となく眺めても、距離感を喪失する光景でもある。地図上に海岸線までは直線で400メートルあまりと読めるのだが、建物のひとつも人影すら見当たらないそこに比較するものがないものだから、いつも指呼の間に、海まで手の届きそうに感じられてしまう。

前の年の初訪問で透き通った天候に恵まれ、気を良くして翌年にも再訪したものの、利尻島の望めぬのなら画角を変えるしか無い。
R=302の急曲線でサミットの251K096Mに差し掛かるのは324列車。夏場なので、絶気となれば白煙もない。

[Data] NikonF PhotomicFTN+P-AutoNikkor50mm/F2 1/500sec.@f5.6 Y48 filter Tri-X(ISO400)  Edit by PhotoshopLR5 on Mac.

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コメント

抜海南稚内

走るモノは変われど、仰る通りこの風景が全く変わっていないように見えるのもある種の奇跡です。
向こうに見える道道はかなり遅くまで未舗装だったようにも聞きますが、この時点で舗装されているようですね。

  • 2014/10/13(月) 10:53:09 |
  • URL |
  • 風太郎 #ORZvdv76
  • [ 編集 ]

Re: 抜海南稚内

こんぱんは。
「走るモノ」は、残念ながらあまり魅力的では無くなってしまいましたが、景観は何一つ変わらずそこにありますね。
キハ261系特急を、かつてのC55や9600、DD51と全く同じ画角に収めて悦に入っている次第です。
抜海への道道の砂利道は見ていません。60年代終わりまでには整備されていたものと思います。
但し、現在の道路は、この頃より拡幅されているようです。

  • 2014/10/14(火) 03:05:49 |
  • URL |
  • Wonder+Graphics #-
  • [ 編集 ]

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