"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

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上野幌 (千歳線) 2004

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停車場は勿論のこと、隧道に橋梁、架道橋、跨線橋、踏切など線路上の構築物には名称が付されている。「日本国有鉄道建設規程」や「地方鉄道建設規程」のような政令がそれを求めているでは無いが、国鉄で規程類近代化のなされて以降なら内部統制規程の「線路管理規程」(1964年4月1日総裁達第179号)や「建造物管理規程」(同総裁達第180号)に定めが在った。
線路起点からの位置にて同種施設を特定出来ないでは無いけれど、管理上の便宜からである。旅客に貨物を扱う停車場には当然として、公衆との接点となる踏切などにも必須であろう。私設鉄道や海外には、これを「一号隧道」とか「○○駅(基準駅名)三号踏切」などの事例のごとくに番号とした事例もあるが、国鉄線では固有名称が大半である。
利用者への案内や地元自治体の意向も考慮せねばならない駅と異なり、信号場などの非営業停車場や公衆には無関係の隧道や橋梁への付名は国鉄独自の判断で行われ、原則的に地名や山名、河川名に準拠したのだが、それらには実態にそぐわなかったり、出自の不明な事例も多い。区別さえ出来れば良いのだから、それで部内には何の不便も生じないのかも知れぬが、それを覗き見させてもらう鉄道屋には不思議な事例も多々あった。

千歳線の上野幌-西の里信号場間には三箇所に橋梁が架けられている。いずれも新線建設に際して、築堤により施工基面高30M50を確保した上野幌から椴山地内の最高地点60M00に向けて10パーミルを維持する縦断線形に、野津幌川低湿地の丘陵への陥入部に架橋されたものである。水流を渡るでは無いのだが、橋脚にPC桁の構造に橋梁と区分され、上野幌方の延長231メートル橋梁には「大曲」の施設名称が与えられていた。
北広島市史などを調べれば、同市大曲の地名の起こりは、札幌本道(現国道36号線)の札幌市との境界にあった谷(現大曲川)へと急坂で降りていた屈曲した道筋に在ると云う。現在の大曲並木付近である。大曲橋梁からは直線でも南西へ4キロあまりも離れる。
nup-or-o-pet(野津幌川)の最上流であるこの地域は、古にはそのヨシ原以外は原生林に囲まれて固有地名のあるでなく、開墾の進展とともに広島村の開拓地名であった西の里が西へ拡張し、南に生まれた大曲の地名もこの付近まで北上したのだろう。加えて、本来なら奥野幌とでもすべきだった上野幌駅が名称そのままに移転して、このあたりの地名に混乱を与えている。
所在地名に従って西の里橋梁とし、続く二つを第二・第三としても良さそうにも思えるが、旧線上に西の里を名乗る信号場が存在して、その位置からは離れることに加え、野幌の名は駅や橋梁に既存だったゆえにやむなく大曲を採ったと推定する。かくして、札幌市里塚地区からの延長で住宅街として市街地化の著しい大曲地区とは関わりのない位置に、それを冠した鉄道施設の存在することになったのであろう。
余談ながら、車窓が渡辺養鯉場の養殖池を見下ろす位置の延長82メートル架橋に与えられた「橋本」の由来は全くに分からない。

近年まで西側のクマザサの丘から全体を見通せた大曲橋梁だけれど、道路沿いの樹木が成長してそれは困難になってしまった。けれど、南側地平からの仰角は健在で、背後に写り込む西の里小学校に続く丘陵が色づく頃の景観は好ましい。澄んだ天空と僅かに黄色味がかった光線は、確かに10月の風光だ。
橋梁を高速で駆け抜ける列車は、5007D<スーパー北斗7号>。その速度にはシャッタ速度1/500秒でも微細にブレる。
ところで、この立ち位置を含め、付近の水田は最近に耕作が放棄されている。とっくに業者の手に渡っていて、宅地開発でも始まるのだろうか。

[Data] NikonF5+AiAFMicroNikkor105mm/F2.8D 1/500sec@f4 NON filter Ektachrome Professional E100VS [ISO160/0.5EVpush] Edit by PhotoshopLR5 on Mac.

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