"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

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礼文 (室蘭本線) 2003

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民宿礼ぶんげの主人や豊年旅館の女将に今野旅館のご夫妻のことは前に書いた。幾度も通った礼文で想い出すことは、まだまだ在る。ひとつは豊西ハイヤーである。
今となれば礼文華にタクシーの在ったこと自体信じられぬ気もするが、それは1999年まで営業していた。

気にしたことがなかったので、それが会社組織だったのか個人タクシーだったのかは分からない。度々配車を依頼するようになるのは、早朝の本州連絡寝台列車をここで撮りはじめた1988年以降のことで、8時30分前に通過の5列車、或は10時少し前の8007列車までを撮り終えてから千歳線内で上り列車群を捉える移動に、国道37号線の沿いの斜面を藪漕ぎして降りてから駅までの3キロ強を歩いたのでは数少ない列車に間に合わぬゆえ、その間を乗っていたのだった。
携帯電話通信網のサーヴィス圏外域だった頃には、前夜のうちに宿舎から時間を指定して配車依頼していた。その電話は2本在ったのである。記憶は曖昧なのだが、配車毎にドライヴァは異なったようにも思えるから、多分事業所だったのだろう。けれど90年代の半ば以降にはいつも同じ、小柄で無口な年配のドライヴァだったとも覚えている。社員が彼しかいなくなったか、彼が社長だったのかも知れない。車庫は礼文駅前通りの少し海岸寄りに所在していた。
1995年の3月に渡道した際に、長万部のホテルから礼文までを彼の運転で未明に走ってもらったことがある。長万部に投宿の後に予定を変更したゆえだったのだが、走り始めてバックシートから何気なく運転を見ていると、彼の身体が次第に前傾しながら縮こまると次の瞬間に背筋を伸ばす動作を繰返すのが見て取れ、居眠りかと肝を冷やしたのだった。けれど、クルマは他に走行車の見当たらない国道を法定速度を維持して淡々と走り、無事に切取法面下のいつもの空き地に到着した。尋ねはしなかったのだが、おそらく何かの持病だったのだろう。
その日の10時過ぎの迎えにも彼が現れ、今度は豊浦までを乗れば、やはり同じ動作で走るのだった。
分かってしまえば、その後の幾度かの利用には不安も無く、寧ろ歯痒い程の安全運転にお世話になったのだけれど、それの悪化したものか、2000年の秋に予約を入れようとした電話にて廃業を告げられた。

2012年の豊浦町礼文華の電話帳を調べると、個人宅と公的機関以外は帆立貝からの魚醤製造の事業所1箇所に商店らしきが3店(営業の有無はわからない)、スナック1店が全てである。2012年度国勢調査での178世帯376人の集落は経済規模を成さない。

礼文華山トンネルからの10パーミルを駆け下りるのは、3列車<北斗星3号>。
画角の数度の既出は、秋季のヴァリイションにてご容赦頂きたい。この季節に海側から低く差し込むのは好きな光線だった。
築堤盛土の法面は1989年の一斉伐採から14年で、このような有様となっていた。毎年にここへは立っていたけれど、この頃が撮影の限界だったろう。さらに10年を経た現況はご承知のとおりである。

[Data] NikonF5+AiNikkor105mm/F1.8S  1/500sec.@f4 C-PL filter Ektachrome Professional E100GX [ISO160 / 0.5EV push] Edit by PhotoshopCC & LR5 on Mac.

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