"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

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赤井川 (函館本線) 1982

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赤井川は、1904年10月14日の(初代)北海道鉄道線の歌棄(現熱郛)-小沢間開通による全通に際して、既設区間に山崎や中丿沢、蕨岱と共に開設された停車場である。これら4駅は10キロから12キロ程の停車場間の中間に位置したから、全通にともなう直通列車の運転などの列車回数増に対応したものと推定され、当該区間の開通から1年を経ての設置は線路計画時からの既定方針だったろう。

ゆえに、赤井川も上下本線を設備した配線だったと思われるのだが、現況の駅本屋に接した乗降場と島式のそれの有効長のあまりの差や、上下本線を区別しない線路使用方が些か不可解である。本屋側乗降場は途中に段差がついていたので、後年に嵩上したとも見えるが壁面石積にも本屋の土台にもその痕跡は見られず、低い部分が延長されたものかも知れない。本来には島式側とほぼ同延長だったならば、それを(千鳥配置では無く)並列配置とした故の片側使用の配線も説明は付く(*1)。
本屋に信号扱梃子の撤去跡らしきの見られないのも不思議で、それは別小屋だったのだろうか。ちなみにそれの使用停止は1969年8月のことである。
本線有効長の500メートルは明らかに後年の(おそらくは戦時下)の延長であり、乗降場延伸もその際と考えれば、本屋側だけのそれには当時より、これを上下本線としていたものだろうか。
いずれにせよ、この駅の沿革をぜひ知りたいとは思うものの、その資料には出会えそうにない。

写真は、副本線(待避線)に停車の123列車と本線を通過する102D<せたな>。
画角外の123列車の客車はオハ51系列の4両組成で、後部2両はホームを外れている。
1966年10月1日改正にて設定の函館-瀬棚・長万部間急行<せたな>は、当初のキハ21・22の使用から1972年3月15日改正ダイヤより下りが本線急行<すずらん>に国縫まで併結されるようになると、キハ27の2両組成に置替られ面目を一新していた。もっとも、これの運転開始に際しての車輛費は沿線自治体による利用債にて賄われ、その際に国鉄の発注したのはキハ56/27だったから当然の措置でもあったろう。
この1982年当時の102Dは、瀬棚発(瀬棚-国縫間普通)のキハ27-2両の[増1号車][増2号車](*2)に、熱郛発(熱郛-長万部間普通)の号車札の無いキハ40(若しくは22)-2両を国縫で併結していた。
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(*1) 対向式乗降場の採用には、列車在線時の利便から旅客乗降場を千鳥に配置して、その中央に本屋を置くのを原則とするが、諸般の事情にて並列配置とせざるを得ない場合に採用された使用方である。石北線の安国から東相ノ内間に留辺蘂を除き事例がある。
(*2) 下りの<すずらん>編成函館方の[1号車]に続く併結に要した号車札である。

[Data] NikonF3HP+AiNikkor50mm/F1.4S 1/125sec@f5.6 NON filter Tri-X(ISO320) Edit by PhotoshopLR5 on Mac.

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